海炭市叙景
佐藤泰志「海炭市叙景」を読了。
久しぶりに良い短編小説を読んだ、という読後感だ。
この人の小説を読んだのは初めてだけれど、素晴らしい。
この物語では架空の「海炭市」(北海道の函館市がモデルらしい)を舞台に、市井の
人々のひっそりした生活と人生が描き出されている。アマゾンの記載の内容(BOOK
データベースによる)にうまくまとめられているので引用すると:
海に囲まれた地方都市「海炭市」に生きる「普通のひとびと」たちが織りなす十八の人生。炭鉱を解雇された青年とその妹、首都から故郷に戻った若夫婦、家庭に問題を抱えるガス店の若社長、あと二年で停年を迎える路面電車運転手、職業訓練校に通う中年男、競馬にいれこむサラリーマン、妻との不和に悩むプラネタリウム職員、海炭市の別荘に滞在する青年…。季節は冬、春、夏。北国の雪、風、淡い光、海の匂いと共に淡々と綴られる、ひとびとの悩み、苦しみ、悲しみ、喜び、絶望そして希望。才能を高く評価されながら自死を遂げた作家の幻の遺作が、待望の文庫化。
ひとつひとつの物語は少しずつ交錯しており、ひとつ前の物語での話の一部が次の物語で
わずかに触れられていたりする。その結果、読む進むにつれ「海炭市」という街の持つ
雰囲気や匂い、空気感といったものがより有機的に浮き上がるような仕組みになっている。
これは見事と言うしかない。
加えて、ひんやりした文体がとても良い。
海炭市の冷たい空気感、寂れゆく街のどんよりした疲れや哀愁が、ひしひしと伝わって
くるのだ。
そしてそれ以上に、僕はこの物語の中で描き出されている人物像に圧倒された。
僕には「炭鉱を解雇されて手元に2600円しかない兄妹」が何を考え感じるのか、全く
想像できない。僕には「競馬に入れあげ負け続けているのにさらにサラ金から借りて
馬券を買うサラリーマン」の気持ちもリアルに想像できない。「妻の息子に対する
家庭内暴力に悩むガス店の若社長」の気持ちもわからないし「暴力を振るう妻」の
気持ちもわからないし「そもそも若社長の浮気相手の存在が全ての原因だ」と断定
する女店員の気持ちもリアルには想像できない。
それが佐藤泰志の手にかかると、見事にリアルに表現されている。そしてその描写力
は、ある登場人物が別の登場人物の心のうちがわからず、あれこれ想像し、憶測する
ような場面でも遺憾なく発揮される。
つまり、佐藤は「ある登場人物の考えていることを(見事な文章力で)細密に描写
している」一方で、「その登場人物は極めて荒っぽく乱暴にいい加減に別の登場
人物の真理を憶測している」ことを卓越した文章力で細密に描写して見せるのだ。
これは至芸である、と思う。
夏目漱石から村上春樹まで、多くの作家で小説の登場人物はどこか類型的で「想像
の範囲に収まる」のに、この物語の登場人物は類型的ではなく(唯一、言えるのは
ひとりとして『勝ち組』の人がいないことかもしれない)、その個々の違いが見事
に表されている点も敬服に値する。
このような描写ができる人は?と考えてみて思い当たったのは中上健次。
描写の幅広さとある場所(熊野)を舞台にした連作という意味でどこかしら似ている。
しかし、佐藤のほうが土着的でなくずっと垢抜けている。
解説によれば、佐藤泰志は1990年に自死したとのこと。
実に素晴らしい才能だったのに、惜しいことである。
- 作者: 佐藤泰志
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/10/06
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