風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

進撃の巨人

進撃の巨人」にハマってしまった。
先日から今までに出ている単行本16冊をあっという間に読破。
コミックにハマったのは「北斗の拳」以来ではないだろうか。

巷で言われているように、この作者は実に絵が下手である。
第1巻を読みだした頃、登場人物の描き分けが稚拙なため、ずいぶんと
混乱した(誰が誰やらわからない、ということ)。アクションシーンも
何が起こっているのか把握できないコマもたくさんある。
これには正直呆れた。
しかし、ストーリーの面白さとプロットの秀逸さは本当に凄い。
人を喰う巨人のために人類が3重の高い壁の中の地域に押し込まれている
という設定なのだが、巨人の由来も、壁の由来も、何一つ明らかにされて
いない。このコミックは謎がてんこ盛りで、謎解きが大きな魅力になって
いるのは確かだ。

そして主人公たちの青春群像劇。
戦いと仲間たちや敵の死を通して彼らが成長してゆく過程は、昔からある
戦争映画ものとかぶる部分がある(例えば「バンド・オブ・ブラザース」
とか「フルメタル・ジャケット」とか「メンフィス・ベル」とか)のだが、
面白いのはその中に非常に強い依存の関係(ミカサとエレン、クリスタ
とユミル)が描かれていることだ。クリスタはユミルとの依存を意志の
力で断ち切り自立してゆくのだが、16巻までではミカサはエレンへの
依存を断ち切ることが出来ていない。ミカサがヒロインという立ち位置
であることを考えると「エレンのために生きている」ミカサがどのように
これから精神の自立を勝ち取るのかは非常に興味深い。ここでさらに僕が
興味を引かれるのはミカサは「エレンのためだけに」生きているために、
他のメンバーのような迷いがなくそれ故に有能かつ効率的な兵士でいられて
いる点だ。ミカサのように自分の意識の範囲を非常に狭い範囲に限定すれば
物事を決めることは簡単なのだが、調査兵団団長のエルヴィンのように
「この世界全体の最適化」を考えだすと途端に決断はシンプルではなくなる。
事実、この物語に登場する多くのオトナのキャラクターは善人のようで
あっても悪の部分ももち、悪人でも善の部分を持っていたりする。
一昔前のハリウッド活劇のようなシンプルな善と悪ではないのだ。
この点もこの物語を複雑かつ面白くしている大きな要因と思う。
「広い範囲の最適解の導出」のために苦悩する存在、「善とは一体何か」
に苦悩する存在こそがオトナであることを考えれば、狭い範囲の正義、
狭い範囲のプライオリティに生きるミカサが依然コドモであることは
明らかだ。

先に絵が下手と書いたが登場する巨人たちの描写は素晴らしい。
巨人たちは知性がなく人を喰うという本能だけにドライヴされている存在
として描かれているが、知性を感じさせない巨人の表情(それは恐ろしく
不気味で気味悪い)と体躯(その多くは手足の長さや頭の大きさがアン
バランスである)の描写だけは本当にえげつないし凄いと思った。
そして、この世界ではいとも簡単に人も巨人も死ぬ。
頭を齧られ、手足を噛み切られ、ぐちゃぐちゃになって死んでゆく。
ああ、戦争の世界だな、これは、と思う。
残酷でグロテスクな現実の中で、踏みにじられる命と理想。
そしてそれでも生きてゆく、という事。
これは現実世界の極北のカリカチュアなのだ。

PS.このコミックを見て作者はゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」
  にインスパイアされたに違いない、と思ったのだが、そんな事実
  はないようだ。
僕にはどうしてもこの絵とかぶるのだが。。。

我が子を食らうサトゥルヌス

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)