「進撃の巨人」:描かれた選択
「進撃の巨人」は不思議な漫画で、何度も読み返してしまう。
昨夜、会社の若手社員男女数名をご馳走したのだが、そこでもこの作品が
話題になり、某総合職女子は「巨人との戦いというより人間を描いている
漫画なんですよね」と言っていた。
そこでふと、僕は思った。
この漫画の何が、僕をこんなにも惹きつけるんだろう?
酔いの残る頭で夜道を歩きながら考えるうち、この漫画が描いている「選択」
に惹きつけられているんだな、と思い当たった。
この作品では、至る所で登場人物たちは「究極の選択」を迫られ続け、彼らは
「究極の選択」を下し続ける。
例を挙げるとこのような部分だ。
巨人が迫ってくる中、瓦礫に埋まって身動きが取れなくなったエレンの母は
エレンとミカサに自分を置いて「逃げなさい」と言う。その後、二人が離れた
ところで自分の口を押さえて「行かないで。。」とつぶやく。
その後、エレンの母は巨人に無残に食い殺される。
「私が尊重できる命には限りがある。そして…その相手は6年前から決ま
っている(注:エレンのこと)。ので、私に助けを求めるのは間違っている。
なぜなら今は、心の余裕と時間がない」
(親友ユミルの命を救ってやってくれと懇願するクリスタにミカサは決然
と言い放つ。自分の選択には常に『優先順位』がある、と))
「俺にはわからない、ずっとそうだ…自分の力を信じても…信頼に足る仲間
の選択を信じても…結果は誰にもわからなかった…だから…まぁせいぜい
…悔いが残らないほうを自分で選べ」
「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…
大事なものを捨てることができる人だ、化け物をも凌ぐ必要にせまられた
のなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ、何も捨てることが
できない人には、何も変えることはできないだろう」
「何を…何を捨てればいい?僕の命と… ほかに何を捨てれば変えられる!?
他に何を…」
(エレンを救うためこの後アルミンは自分の『人間性』を捨てることを選ぶ)
このように、この漫画のテーマは「選択」である、と言っていいほど、選択の
場面があり、「選べ!」という言葉が頻出する。
この作品の中では、decisive(決断力のある)人物は美しく格好良く描かれて
いて、かつ、現実的でプラグマティックな決断を下せるようになることが
「大人になる(=成熟する)」という構造になっている。
プラグマティックな判断を如何に素早く下せるか、というポイントはビジネスや
戦争では確かに重要で、それが出来る人間が「有能」と呼ばれる一方、感情に
流されて優先順位が混乱し、決断ができない人間は「無能」と呼ばれる。
それはミカサの言うところの『仕方無いでしょ?世界は残酷なんだから』という
世界において、これは絶対的なルールなのだ。
僕は、自分を、非常にdecisiveな人間だ、と思う。
そして、自分を取り巻くこの社会は基本的に『残酷だ』と思い続けてきた。
この漫画を読んで共感している人たちは皆、僕のようにこの社会は『残酷』
なのだ、と感じ、その中で格好良くdecisiveでいたい、という願望を持つ
人たちなのかもしれない。
しかし、本当にそれでいいのだろうか?
敵を殺すことを一瞬躊躇したジャンに向かってリヴァイ兵長はこう言う。
「あぁ…お前がぬるかったせいで俺達は危ない目に遭ったな」
「ただしそれは あの時あの場所においての話
何が本当に正しいかなんて俺は言ってない
そんなことはわからないからな…」
「お前は本当に間違っていたのか?」