風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

不安の構造

リスクを恐れず思い切ったことをできるかどうか、というのは性格の問題もあるが、重要なファクターとしてこれまでにどういう人生経験を積んできたのか、ということがありはしないだろうか。僕は最近、そういうことを強く思うようになっている。

例えば、自分の勤めている会社が倒産する、とする。
当然、収入が無くなるわけだ。
しかし、、職を失ったからって突然死ぬわけじゃない。どうなるのか。次の職を探しに職安に行くのか人材銀行に行くのかアルバイトニュースを開くのか等等等。。想像してみると「職を失うのは嫌だ。」と不快感とともに思う。一方、実際にそうなったらそうなったで何とかなるはずである(僕が楽観的な人間だからそう思うだけなのかもしれないが)。うまく言えないがたとえば「失業に対する不安」の中のある部分は、僕が就職してから一度も職を失ったことがないことによってより膨らんでいるように思うのだ。

「不安」は「自分が未知の状態に置かれること」に対して持つことが多い。逆に言えば、いろいろな経験を積めば積むほど人間は「想像上の不安」から解放されることになり「似たような体験しているから大丈夫。すぐに死ぬワケじゃないし。」とより自信を得ることができるのではないか?

「リスクを恐れず何かができる」ということは「何かを失う可能性への恐怖に勝つ」ということだ。その為には「何かを失っても自分は何とかできる」という自信が必要なのだ。本当の「強さ」とはとことん沈んで、それでもまだ「自分は生きてゆくことができる」と体感した時生まれてくるのではないか?

それこそが、本当のその人間の揺るぎなさであり、強さなのだ。
挫折経験のない優等生がもろいのはそういう理由だろう。
人間はある程度はどん底に落ちたり理不尽な失敗の悲哀を経験する必要があり、そうでない限り、不安におびえ続ける人生を送ることになる。

ひどく辛いことでも、理不尽に苦しいことでも、生きていて起きるたいていのことには意味があるのだと思う。