風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

過去・現在・未来

過去・現在・未来
皆さんの頭の中ではこの三つはどういうウエイトになっていますか?

僕の割合は1:6:3。
つまり頭の中のほとんどは現在のことで占められている。
未来を考えるのは自分が望む未来からブレイクダウンして今の自分の行動を
策定するためなのだが、ネガティブなことに限るとこの割合は0.5:9:0.5と
さらに極端な比率になる。

少し前にも書いたけれど、僕は基本的に自分がコントロールできないことに
ついては気にしない。僕がコントロールできるのは、過去の反省を踏まえた
「現在」、未来に繋がってゆく可能性のある「現在」だけだ。
残念ながら起こってしまった過去を変えることはできない。
同様に現在をすっ飛ばして未来を変えることもできない。
これら二つは僕のコントロール範囲外だ。
だったら後悔したり、不安になったり、気に病んでも意味がないではないか。

ずっと昔からそうだったわけではない。
いつのころからか、そういう風に考えるようにしよう、と努めるようにするうち
に、ごく自然にそう考えられるようになった。
過去の出来事を思い出して落ち込んだり、未来に不安を抱えて暗くなったりせず
にシンプルに「今を精一杯一生懸命生きるだけ」と思えるようになったのだ。
もちろん過去と未来の占める割合が小さいからといって無視しているわけではない。
自分への課題をつきつけてくれる過去、そして現在の自分が向かうべき方向である
未来はリスペクトすべき大切な存在だ。
しかし、頭の中でこれらに必要以上に囚われすぎるのはどうだろう?

いや、過去や未来だけではない。
周囲を見ていると、自分がコントロールできない事柄(他人の心、社会、世界など)
を恨み、嫉み、愚痴る人達がいかに多いことか。
恨んだり、嫉んだり、愚痴ったりしても何も変わらない。
そんなことよりコントロールできない事柄に対する「自分の接点」を変える努力を
するほうが有益ではないか?と思うのだ。
他人の心が変えられないなら、そこに接する自分の心、自分の態度、自分の行動
を「精一杯、一生懸命」変えるのだ。
社会や世界がどうしても我慢できないのなら、自分がそこに接する部分で「変え
ようと精一杯最善の努力をする」しかない。

スポーツ選手がインタビューで「次の一戦を精一杯戦うだけです」と言っている。
できることはいつだって「今の自分の力で精一杯戦うこと」しかないのだ。
僕には彼らがその言葉に込める意味がとてもよくわかる。