風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

熟成できない焦り

最近は仕事に追われている。
いや、時間的に追われているということではない。
出張こそ多いけれど、そうでない時は大体、7時前にはオフィスを離れ8時前には帰宅
しているのだから、決して肉体的に多忙というわけではない。
精神的に追われている、ということなのだろう。
いや「追われている」というのは多分誤りで、仕事のドライヴ感に駆り立てられて
日々疾走している、というのが正しいのだと思う。自らがドライヴ感を持って走って
いるものだから、土日だって仕事のことを『勝手に』考えたり、仕事関係の本や
資料を『勝手に』読んでいるわけだ。
誰に「勉強しろ」とか「読め」とか「考えろ」と言われたわけでもないのに。

いや、良いのである。
恐らくこれは幸せのひとつの形であるはずだからだ。
外から強制されず自分自身のドライブ感を持ってトラックを疾走できる情況は、
どう考えても「不幸」に分類されないことは確かだ。
それに、僕自身も、このトラックを行き着くところまで走りきってみよう、
と覚悟を決めたし、決意はしているのだ。

ただひとつ、僕が気に入らないのは、この情況では僕は人として熟成できない
ということだ。熟成するには、まず「仕込み」が必要で、次に「寝かし」が
不可欠だ。今の情況では「仕込み」が圧倒的に仕事(ビジネス)関連に偏って
いて、僕自身が目指す所の「人間としての熟成」に必要な材料の仕込みが出来て
いない。僕のような未熟者はもっと「仕込み」をしないといけないし、加えて
言えば「寝かし」も必要だ。(「寝かし」の期間は何もしないでいいわけでは
ないと思う。ぼんやりそれについて考えるような形での「攪拌」も時々する
必要があるのだ)。
そこはジレンマだ。

忙しくて滅多によそのブログを読みに行くことはないけれど、愛読している
いくつかのブログでは、著者が着実に、そして淡々と「仕込み」と「寝かし」
を重ねておられ、人として確実に熟成しておられることが感じられる。
そしてその方々の場合、仕事との距離・関係(つかず離れず)が安定していて
淡々としていることが明確に感じられるのだ。

僕の場合、この数年で仕事でハンドリングする範囲が急激に大きくなり、それに
合わせて自分が急成長する必要も出てきている。限られた自分のリソースがそちら
に振り向けられることはやむを得ないし、そうするべきことはプロとして当然で
あることは「頭では」理解しているつもりだ。
しかし、僕の「心」はそれを納得していない。

今は、仕事を通して「仕込み」を行い、仕事の過程を通して「寝かし」も行うしか
やむを得ないと思ってはいる。しかし、それだけでは人間としては半人前なのだ、
という思いはどうしても拭えない。
いや、現に僕の周りにも沢山いるのだ。
仕事「だけ」を通して成長を目指し(かつ、それだけで十分と考えて)、その
結果、僕の望むような形の「人としての熟成」に至らなかった方々が。