風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「白痴」を読んで

ドストエフスキー「白痴」を読了した。
いつもながらドストエフスキーの小説を読むと、呆然とした気持ちと満腹感と複雑な
感想で頭がいっぱいになる。
いつもそうだけれど、ドストエフスキーの小説は感想を書くのが非常に難しい。


筋立ては単純。
あまりに善良で単純でドストエフスキーの言うところの「無条件に美しい人」である
ムイシュキン公爵をめぐってナスターシャとアグラーヤという二人の美女とロゴージン
という粗暴な男が激しくやりあい、最後はロゴージンがナスターシャを殺し、ムイシュ
キン公爵は精神を患い、フランスに行ってアグラーヤは投げやりな結婚に身を投じ、
ロゴージンはシベリア流刑になる。
書いてしまったら、たかだかこれだけのことで「三角関係のもつれによる痴情殺人事件」
(それも、殺人事件以降の出来事は小説の最後50ページほどで一気に起こる)である。
この事件発生までの約1300ページは、登場人物たちの恐ろしく冗長なロシア的饒舌と
エキセントリックな感情のパイ投げと、彼らの複雑怪奇な行動と内面描写で埋め尽くされ
ている。


しかし、疑いようもなくこの小説の凄みは登場人物たちの描写にある。
ドストエフスキーの小説では、例外なく、登場人物たちは自分の思っていることや、
行動の説明ができない。いや、彼らは「他人の内面」については言語で説明できると
信じ、実際饒舌でもってそうしようとする(あなたは○○とお考えになってこうされた
んでしょう?というような形で)のだが、それはほとんど的外れであったり、まったく
違っていたりする。そうやって当て推量された当人は、なんとか自分の思いを言葉で
説明しようとするのだが、それは殆ど成功しない。
それは当たり前で、彼らは何か異図があって行動する、というよりも圧倒的に、その時
のはずみや感情のおもむきで何かをし、へまをやらかし、思いもよらない結果を招く。
彼ら自身の精神の中身は混沌としていて、つかみ所がなく、脈絡がない。
つまり、彼ら自身、自分が何を考え、どういう意図を持っているか理解していないのだ!


しかし、翻って我々自身を考えよう。
日常において我々は自分の行動を明確に論理的に説明できるだろうか?
いや、そもそも、我々のあらゆる行動にはきちんと「理由」があるのだろうか?
実際は(思考や行動の振れ幅はともかくとして)この小説の登場人物と同じようなもの
ではないのだろうか?
そう考えたとき、この小説の登場人物たちがどうして時代を超えてこれほど「リアル」
に思えるのかがわかる。
彼らは両面性と矛盾を抱えた存在で、奥行きがあり、曖昧で、不透明なのだ。


さて、作家の埴谷雄高はアンケートでどんな女性が好きか、と聞かれると必ず「ナスタ
ーシャ・フィリポヴナ」と書いていたというけれども、このナスターシャという女性は
大変な女性だ(僕もこれまで読んだあらゆる小説の登場人物の女性の中でもダントツに
印象深い。好きかどうかは別にして)。
ムイシュキンのナスターシャやアグラーヤに対する愛は、女性に対する異性愛というより
人間愛なのだ(だから彼には嫉妬という感情がない)。ナスターシャは彼の深い愛を理解
しつつも、自身は異性愛を捨てられず、ムイシュキンにはもちろん、恋敵アグラーヤや
自分に言い寄るロゴージンにも感情を投げつけずにはおれない。
高貴でありながら自堕落で、ムイシュキンを理解する洞察力を持ちながらも発作的で、
高い精神性をもちつつも術策を弄する、、いやはやドストエフスキーは本当にすごい女性
を造型したものである。
恋敵のアグラーヤのほうが小説内での登場機会は圧倒的に多いのだが、こちらは誇り高く
活発で少々わがままで魅力的な(しかし常識的な)お嬢さんとして描かれている。
(僕はトルストイの「戦争と平和」のナターシャを連想した)。
同じく、ロゴージンも深い心の傷は感じるものの「世俗的な悪漢」と言っていい。
そう考えてゆくと、やはりナスターシャは、個性溢れるこの小説の登場人物の中において
も、両面性と複雑さにおいて「段位が違う」人間として描かれているように思う。


「世界最高の恋愛小説」と呼び声高い本作であるから、もちろん、三角関係を中心とした
「恋愛」が主題ではあるけれども、それ以外の要素もてんこ盛りである。
例えば、ムイシュキン公爵が最初にエパンチン家を訪問した際に披露した死刑囚の話や、
死病を患ったイポリット青年の言葉など。迫り来る死とどう向き合って生きるのか、と
いう重く暗い主題(ドストエフスキーが他の作品でもたびたび取り上げた主題)がここ
でも取り上げられている。ドストエフスキーの小説は(優れた小説はどれもそうである
ように)複雑で読み方が一様ではなく、いろいろな言葉をいろいろに読み取ることが
でき、いろいろ考えることもできる。
そこもまた素晴らしいと思う。


しかし、ともかく、この小説の主題は「恋愛」である。
僕にはひとつ興味がある。
ドストエフスキーは大小説家であるとはいえ「男」である。
女性がこの小説のナスターシャやアグラーヤの行動や心理描写をどう感じているの
だろう?僕が単純な男だから「この女性の複雑さの描写は凄い!」と思うのかもしれず、
女性が読めば「ナスターシャなんてありがちな女よ」と思うのかもしれない(笑)
さて、どうなのだろうか?


白痴 (上巻) (新潮文庫)

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