風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

読みかけの本

読者の皆さんは本を読むとき一冊ずつ読まれているのでしょうか?
それとも同時に何冊も読んだりされるのでしょうか?

僕はいつも数冊を同時に読んでいます。
何か格別の考えがあってそうしている、というよりも、本屋に立ち寄ると大抵本
を買ってしまうので自然にそういう風になる、という感じです。
ここのところ少々仕事のほうが立て込んでいて読書のほうも進んでいないのです
が、それでも本屋に立ち寄ると何か買ってしまう(苦笑)
そういうわけで、今は読みかけの本、読んでいない本が溜まってきている状況
なのですが、まだ全く読んでいない本は別にして(仕事関係の読みかけの本(3、
4冊あります)も別にして)今、僕の読みかけの本をちょっとご紹介したいと
思います。

行動経済学友野典男著 光文社新書
以前から近代経済学が前提としている人間像(常に合理的に行動し、自分の利益
のみを追求し、短期的にも長期的にも自分の不利益になることは決してしない
と仮定されている)は絶対おかしい、と思っていたのですが、最近「行動経済学
という形で人間の心の非合理性、バイアスまで含めた経済学が立ち上がりつつあり
ます。
この本はこの行動経済学の手軽な入門書、という位置づけですが、とても面白い。
特に「プロスペクト理論」によって説明されるところの、効用(”幸せ感”と言い
換えてもいいでしょう)をもたらすのは「富の変化であって絶対量ではない」と
いうあたりは、生活実感としてもわかるところがあるのではないでしょうか。
数式が多いので、数学が苦手な方には辛いかもしれませんが、お勧めの本です。
行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)の画像 行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

大衆の反逆オルテガ著 中公クラシックス
名著の呼び名高い思想書ですが、これまできちんと原書を読んでいませんでした。
この本はとても読みやすく、面白く、かつ、非常に重要な知見を含んでいます。
まだ半分程度しか読んでいませんが、前半で特に卓見と僕が感じた部分。
【引用始まり】 ---
そして結局私は、きわめて明瞭な次の事実を強調したのである。
すなわち、われらの時代はすべての過去の時代よりも豊かであるという奇妙
なうぬぼれによって、いやそれどころか、過去全体を無視し、古典的、規範
的な時代を認めず、自分が、すべての過去の時代よりもすぐれ、過去に還元
されない、新しい生であるとみなしていることによって、特徴づけられるのだ。
 この考察をしっかりと把握しないで、われわれの時代が理解できるとは思
わない。なぜならば、これこそまさに現代の問題だからだ。もし自分が没落
していると感ずるならば、他の時代は自分よりまさっていると思うはずだ。
そのことは、過去を尊敬し賞賛し、それを形づくった諸原理を敬うことと
同一である。
【引用終わり】 ---
大衆の反逆 (中公クラシックス)の画像 大衆の反逆 (中公クラシックス)


死の家の記録ドストエフスキー著 新潮文庫
ドストエフスキーが思想犯としてシベリア流刑に送られた時の見聞の記録。
地獄のような流刑生活の中の記録なのですが、ドストエフスキーのその人間観察
の鋭さに息を飲む思いで読んでいます。これを読むと、ドストエフスキーが人間
の複雑さ、ポリフォニックなあり方をこの経験を通して体得したのでは?と
感じます。どんな邪悪な極悪人にも美しい面があり、善良そうな人間にも邪悪
さが潜んでいる、そんな記述を読んでいると「カラマーゾフ」の登場人物たちを
見るようです。
もっとも「カラマーゾフ」に比べるとずっと読むのは楽です。

言葉はなぜ通じないのか小浜逸郎著 PHP新書)
小浜逸郎には「人はなぜ働かなくてはならないのか」という面白い本があって、
それ以来気にかかっている哲学者なのですが、この本はコミュニケーションにおいて
「なぜ真意が伝わらないのか?」「不毛な口論はなぜ起こるのか?」という(多く
の人が興味を持っている)事柄について、言語学の側面から切り込んだ本です。
凡百のコミュニケーション論と異なり、しっかりした哲学的視座(構造主義・ポス
構造主義をベースにしている)の上にソシュールの言語論、吉本隆明の言語論
(「言語にとって美とは何か」←これも読みかけでした ^^;)などを引きつつ興味
深い議論を展開しています。
『言語は世界についての既定の「真理」や「事柄の真実」を反映したものではない』
という小浜氏の主張には深い共感を覚えます。
言葉はなぜ通じないのか (PHP新書 473 人間学アカデミー 5)の画像 言葉はなぜ通じないのか (PHP新書 473 人間学アカデミー 5)