風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「オルセー美術館展」に驚愕(2)

セザンヌに心底感動した僕の胸は、相変わらず鼓動が早いままである。
続く部屋にはロートレックゴッホゴーギャンと豪華絢爛な名画がこれでもか、
とばかり並べられている(ゴッホが7点、ゴーギャンが9点)。
なんという至福!
ゴッホの有名な「自画像」「星降る夜」はさすがに凄い人気で、人だかりでよく見られ
なかったが、絵が発しているエネルギー(画力)は凄いものがある。
特に「自画像」。
どう考えても、顔中に塗られた黄色の線や、眉のあたりに濃く塗りつけられた藍色の
線は、アブノーマルである。「星降る夜」にしたって、子供でも星をこんな風に描こう
とは思わないだろう。
それを描くのがゴッホの個性でもあり、異常性でもある。


このあたりで僕はパンチ・ドランカー状態になってしまい、この後はやや集中力を
欠いた状態で見ることになった。
印象に残った作品にベルナールの「愛の森のマドレーヌ(画家の妹)」がある。
この絵を見て反射的に思い出したのが一昨年見たミレイの「オフィーリア」だった。
このベルナールの絵は他の絵「収穫(ブルターニュの風景)」や「日傘を持つブル
ターニュの女たち」も印象的な色遣いと構成(セザンヌの影響を感じる!)を持った
魅力的な作品だ。


8つ目の部屋は「内面への眼差し」という表題がつけられているのだが、ここには
ナビ派象徴主義の画家の絵が集められており、最初にモローの有名な「オルフェ
ウス」がおそらく源流である作品として展示され、続いてルドン、ヴェイヤール、
ボナールなどの絵が展示されている。
この部屋でいきなり感じたわけではないけれども、ポスト印象主義絵画で「人の
内面を描く」ことに力点が置かれるようになっていることは、今回の展覧会を見て
強く感じられた。(というか、この時代にやって、人の内面というものが大きく重く
受け止められるようになった、ということなのかもしれないが)
ボナールの「ベッドでまどろむ女(ものうげな女)」や「男と女」などでもそれを
感じたが、僕が特に惹きつけられたのはルドンの「目を閉じて」である。
これは実に不思議な絵で、目を閉じた人物の頭部が描かれているのだが、水平線
から首がにょっきり青空に突き出ている超現実的な構図だ。
それでいて、伝わってくる静謐と諦念、そして不思議な感情の超越。
(一昨年見た、ウィルヘルム・ハンマースホイの「休息」とこの部屋で再会できた
 のも嬉しかった。この流れの中に置くとハンマースホイの作品は実にしっくり
 くる)


満腹状態の僕に最後に大物が待っていた。
アンリ・ルソーの大作「戦争」と「蛇使いの女」。
特に「蛇使いの女」は衝撃的。
ドリトル先生航海記」の挿絵のような、ある種素朴に見える絵なのだが、構成、
色遣いが圧倒的。ルソーがパリの植物園やら伝聞のみで頭の中でこしらえて描いた
「幻想の熱帯の風景」なのだけれど、画力が半端でなく凄い。
蛇つかいの女の原始の怪しげなパワー、ジャングルの木々や植物の生命力、そして
不思議な満月(この絵に月が二つあったらもっと良かったと思うのだが!)
この絵は一見素朴に見えるけれども、相当に構想を練り込んで時間を掛けて描かれた
絵に違いない、と僕は確信する。
それほどの高い完成度を持った大作である。


こうやってこの展覧会の感想を書いてみて改めて本当に凄かったな、と思う。
僕が東京に住んでいたら間違いなくもう一度行くだろう。
読者の皆さんも騙されたと思って是非行ってみてください。


しかしながら、重ね重ね残念なのは、僕自身の絵画鑑賞能力である。
いまだ絵画鑑賞のビギナーなのでしかたないのだけれど、誰でも感動するような名画
には僕も(さすがに)感動に震えることができるのだけれど(それでもセザンヌ
ような例もある!そして、今ひとつ白状すれば、僕にはルノワールの絵の良さが今も
正直わからない!)そうでない絵にささやかな良さや面白さを見つけるところまで
行っていない。
見巧者になって、そんな面白さが楽しめるようになったらどんなに愉快だろう!
そんなことを考えつつ重い図録を抱えて国立新美術館を後にしたのだった。