風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

文明が衰亡するとき

高坂正堯「文明が衰亡するとき」読了。
この本の洞察の深さ、広さには恐れ入った。さすがは名著である。
本当に30年以上前に書かれた本なんだろうか。。
備忘のために一部抜書。

現在の世界において国民国家がもっとも基本的な運営単位であることも
現実であり、経済活動がほぼグローバルにおこなわれていて、それが
各国の繁栄の重要な基礎になっていることも現実だからである。
その論理的帰結は国際的相互依存のシステムと国益主義との動揺を
つづけるバランスに他ならない。

これはオバマ治世下の「国際的相互依存システム:国際協調主義」から
トランプ治世の「一国国益主義」に舵を切ったアメリカにぴたりと当て
はまるのでは? つまり今は、一種の「歴史的揺り戻し」と考えるべき?
一方次のフレーズは「保護主義で国家の衰亡が防げるか」という点について、
ベネツィアを例にこのように高坂は語る。

大体、保護主義が衰頽を防ぐということはまずないものである。
この保護主義的な措置に、われわれはヴェネツィアの自由で積極的
な姿勢が弱まり、消極的な態度が現れたのをうかがい知ることが
できるであろう。実際、自由な精神と開放的な態度の衰弱こそ
ヴェネツィアの衰亡期の特徴であるように思われる。

また次のフレーズは現代日本に通じるのではないだろうか?

冒険を避け、過去の蓄積によって生活を享受しようという消極的
な生活態度は、ヴェネツィア人の貴族の男子で結婚しない人が
増えたことに現れていると言えるであろう。
16世紀に適齢期の男で結婚しないものはすでに半ばに達して
いたが、17世紀にはその比率は60パーセントへとさらに
上昇したのである。それは経済が発展を止め、あるいは収縮
するなかで、生活水準を維持したいという気持ちから、子孫を
増やしたくない、ということになったためであると考えられる。

次のフレーズは、保守主義者でプラグマティストとしての高坂なら
ではのものであり、明るく晴朗でオープンな(理想主義的な)
アメリカン・デモクラシーへの懐疑の表明である。

ラヴェナルは「公開された国内政治の手続きと外交政策の間に
トレード・オフの関係がある」のであって、アメリカのリベラル
が考えるように「議会の監視、行政府の公開性、議会との強力が、
アメリカの力と影響力を海外に及ぼす有効性をたかめる」という
ことは幻想ではなかろうかと書いた。
「柔軟で、実情に即した外交をおこなうためには、秘密、行政府
の特権、非道徳的な対外的行動の許可、市民の権利を縮小する
国内的行動が必要なのである」
このラヴェナルの言葉は、不快ではあるが真実を語っているのでは
なかろうか。

最後に次は通商国家(主としてオランダとベネツィアに関して)一般
についての記述。(今の日本にも当てはまる)

通商国家は戦争をしないか、あるいは避けようとする。しかし、
平和を作るための崇高な努力もしない、それはただ、より強力
な国々が作り出す国際関係を利用する。(中略)
巧妙な生き方をするが故に、通商国家が他人に好まれないも、
人間の性からしてやむをえない。

文明が衰亡するとき (新潮選書)

文明が衰亡するとき (新潮選書)