風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

男の嫉妬心

佐藤優の「国家の罠」を読んでいたら面白いフレーズに出くわした。
【引用始まり】 ---
ロシア、イスラエル、日本で、私はいろいろな政治家や高級官僚と付き合
ってきた。その中で鈴木宗男氏にはひとつの特徴があった。恐らく政治家
としては欠陥なのだと思う。しかし、その欠陥が私には魅力だった。
 それは、鈴木氏が他人に対する恨みつらみの話をほとんどしないことだ。
はじめは私の前でそのような感情を隠しているのだと考えていた。しかし、
二人の付き合いがいくら深くなってもその類の話がない。また、政界が
「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌と言う
ほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。他の政治家の成功を目の
当たりにすると鈴木氏はやきもちをやくのではなく、「俺の力がまだ足
りないんだ。もっと努力しないと」と本気で考える。
 裏返して言えば、このことは他人が持つ嫉妬心に鈴木氏が鈍感である
ということだ。
【引用終わり】 ---

ああ、なるほど、と僕は思った。
僕自身も、実のところ、嫉妬心が非常に希薄な人間なのだ。
これは昔からの友人やら、うちの奥さんやら、両親やら、多くの人たちからの例外
ないコメントだから、恐らく客観的に見てそうなのだろうと思う。
昔は、別に悪いことでもあるまい、ぐらいに思っていたが、実はいろいろ具合が悪い
ことも多いということを自覚するようになった。
それは、上で引用した本のフレーズの最後の一行に集約されている。

僕が最近でもびっくりするのは、例えば会社の中で「なんであいつのボーナス
は俺より多い」とかそういうたぐいの言葉を耳にした時だ。そんなことがどうして
腹立たしいのか、口にするほど悔しいのか、僕にはうまく理解できないのだ。

僕はごく最近まで(そう、お恥ずかしいが、本当にごく最近まで)どうしてみんな
がそんなに沢山お金を欲しがるのかよくわからなかった。
もちろん食うに困るとか、家族が病気でお金が要るとか、実家が倒産しそうとか
いうのであれば、お金が欲しいのも僕にだって理解できる。
しかし、フツーの生活は取りあえず送れる状況なのに、なおかつ隣の○○君より
ちょっとでも多くお金が欲しい、というのはまるきり理解の他だった。
なぜなら、愚かな僕は「お金=実質的な欲望の充足に当てるもの」という間違った
解釈をしていたからだ。

皆がこだわっている金銭とは『差異を作り出すもの』なのだ、ということに思い
いたって、やっと僕には、他人が金銭にこだわる理由が理解できた。
金銭とは、具体的にどう使うとか、どう使える、とかそういうものではなく、
保有することで他者の嫉妬心を掻き立てることができるもの』なのだ。
もちろん常識人であれば、金銭を持っていることの優位性をあからさまに口に出し
たり、ひけらかしたりするわけはない。しかし、権力について、12月15日の記事
最近読んだ本」の中の『風の果て』で引用したように『行使を留保しているだけで、
手の中にいつでも使えるその力をにぎっている』という本質を紹介したように、
金銭についても持っていることで生じる差異は、人の嫉妬心を煽ることもできる
「力」であることは変わりないのだ。

そこまで考えて始めて、僕には「金銭」が高度資本主義社会においても人を動かす
モチベーションになりうるということが理解できた。
そして、自分が嫉妬心が希薄だからといって、人は必ずしもそうではないこと、
加えて自分自身が嫉妬心に鈍感であるということを意識して、人とは接するように
しないといかん、と思った次第である。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

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