心萎え
冬らしい暗くて寒い日々ですね。
こういうのは嫌だけれど、本来、冬というのはこういうものであるはずなのです。
今回の更新ではドストエフスキーの「死の家の記録」について書こうと思っていた
のですが、どうにもその気にならないのでやめにしました。
ここのところ、精神的に浮上できない日々が続いています。
理由はいろいろあるのだけれども、ひとつには、もうじき僕にある環境の変化が
起こる可能性があることが挙げられます。
どういうことが起こるかは確言できる状況にないのですが、たぶん起こりえること
は3パターンぐらい想像できます。そして、その3パターンどれもが残念なこと
に、僕にとって(形は違っても)あまり嬉しくない状況を含んでいる。
『何を振っても、上がりは全部「地獄」のすごろく』という言葉をどこかの本で
読んだのをふと思い出しました。
もちろん「地獄」というのは大げさですけれども、どの3パターンであっても、
僕にとって心を萎えさせるような何かを含んでいる、含まないことは残念ながら
起こりえない、という意味です。
もちろん、想定される以上、その3パターンについてそれぞれダメージが最小で
あるように準備することはできるわけですから、それは怠りなくやろうとしては
いるのですが、やはり、気分というのは正直なもので、鬱気がもやのように心の中
には立ちこめているのです。
五木寛之が何かの本で「心萎え」ということについて触れていた(今、本が出て
こない)と記憶します。確か心が萎えているような鬱気を感じる時には無理をして
元気を出そうとせず、萎えた状態を認めたほうが良いと言っていたと記憶します。
萎えるからこそ、折れずに済むのだ、とも。
僕はそういう時に素直に落ち込むことが苦手なほうなのですが、五木氏の言にも
一理あるのかな、とも思います。
ほとんどの事柄は直面すれば乗り越えられるものです。
直面する前に想像している時が一番憂鬱なものなのです。
まだまだ宙ぶらりんの状態は当分続きそうですが、この事実を改めて心に刻んで
淡々と日々を送りたいと思っています。