風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ヒトラー 〜最後の12日間〜

僕がヒトラーに関心を持ったのは中学時代だった。
スナイダーの「アドルフ・ヒトラー」を読み、それから「わが闘争」を読んだ。
正直言って「わが闘争」のほうはさっぱり判らなかった。
確か高校生になって再読した時「国家社会主義」という言葉に赤線を引いて
「???」と書いたことだけは覚えているのだが ^^;
それでも「わが闘争」からは、ある種の狂気じみた熱っぽさ、情熱のようなもの
は高校生の僕には伝わり、なんとなく心が寒くなったものだった。
僕が父の書棚にあった「夜と霧」を読んで衝撃を受けたのはもっと後のことだ。

去年公開されていたドイツ映画「ヒトラー 〜最後の12日間〜」をやっとDVDで
見ることができた。率直に言えば非常に衝撃だった、ということもないし、凄い
映画だ、とも思わなかった。しかしながら、それはたまたま僕の場合、ヒトラー
という人物に興味を持ち、読書などを通じて彼、あるいは彼の周りの当時の状況
その他について既に知ってしまっていたからということもあるかもしれない。

この映画でヒトラーは残虐で人情味のないモンスターとは描かれていない。
女性秘書や子供達にはとても優しく、犬を可愛がる人情味のある人物。
一方では「総統」として「国民で生き残っているのはクズばかりで、どうなろう
と自業自得だ」とわめき散らす狂気の指導者としての顔。

しかしその事実にはまったく意外性はなくむしろ当然だと思う。
アウシュビッツユダヤ人の死体の皮でランプシェードを作っていた連中に
だって家族があり、ペットを溺愛したり子供たちととピクニックに行ったり
していたのだから。
つまり、人間とは「そういうもの」だ。
このヒトラーが「意外だ」と捉えられるということのほうこそ、よっぽど僕には
「意外」に思える。

「ナチの存在しない社会では生きる意味がない」と言って、子供達を睡眠薬
眠らせ、青酸カリのカプセルを一人ずつ口に押し込んで手で顎を押してかみ
砕かせ、我が子を一人ずつ静かに殺してゆく宣伝大臣ゲッペルスの夫人。
悲しくショッキングなシーンだ。
しかし、この地下壕で起きた狂気はごく一部に過ぎない。
外では600万人のユダヤ人がヒトラーの狂気の命令によって死んでいったのだ。
人の命に軽重はないのはもちろんだが、残念ながら物事には軽重はある。

あらゆる戦争映画を見た時に思うことと共通しているのだが(僕はずっと前
から『戦争映画が内包する本質的問題』という記事を書こうと苦闘している
のだがまだ書けません ^^;)「事の本質は何か」ということだ。
これは以前、ランズマンが「シンドラーのリスト」に対してぶつけた手厳しい
評価(「この映画はホローコーストの本質を描くことに失敗している」)とも
共通するものがある。その意味でこの映画は危うく歴史の枠組みというパース
ペクティブ抜きに「ヒトラーの死」だけを切り取って額縁にはめ込み、観客に
提示するところだった。

しかし、映画では最後にこの体験を語ったヒトラーの秘書だった年老いたユンゲ
本人をスクリーンに登場させ、こう語らせる。
【引用始まり】 ---
「私は戦後しばらく、ドイツの犯した犯罪と自分があの地下壕でしてきたこと
 とを結びつけて考えることが出来ませんでした。--でも、ゾフィー・ショル
 という人の話を聞いて変わりました。私は、彼女が私と同い年である事に
 気づきました。そして、彼女は、私がヒトラーのところで働き始めたのと
 同じ年に処刑されたということに気がつきました。
 その瞬間、私は、若いということが言い訳にならないということ、何が起きて
 いたのかを知ることは可能だったということを、痛切に感じたのです。」
【引用終わり】 ---

この最後のシーンによってかろうじてこの映画は「一つの視点」を持つことが
できた。
そんな風に僕は感じる。

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション [DVD]

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