風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

保守とリベラルに関する私的ノート

岩波新書の橘木敏詔著「格差社会」読了。
的確で信に足るデータに基づいたよい本だと思った。
皆様にもぜひ一読されますようお勧めしておきます。
ここでは本自体の感想よりも、格差というものを生み出す自由主義社会の二つの
重要な軸である「自由」と「平等」について整理しておきたいと思った。
以下はその私的ノートです。

葵さんの記事にあるようなアメリカ社会での格差の拡大、そして日本の現在の
同様の状況のバックグラウンドには、新自由主義に乗っ取った政策がある。
アメリカに限らず自由主義は基本的に「保守」と「リベラル」に大別できる。
保守とリベラルの基本的思想には多様性の容認、市場経済への政府の関与、
税の累進性の大きさ、など多くの点において明確な違いがあるが、特に「平等」
という価値について評価がはっきり分かれる。
ちなみにアメリカでは「保守」の思想は主として共和党の政策に、イギリスでは
保守党の政策に反映され、「リベラル」の思想はアメリカでは民主党の、イギ
リスでは労働党の政策のベースである。
(日本の場合はここまで明確な形になっていない)。

では、「保守」と「リベラル」は『自由と平等』についてどう考えるのか。
保守主義者は敗者、弱者は基本的に本人の自助努力が足りなかったからそうなった
(自己責任)と考える。人々の自助努力が不足するのは福祉の過剰が原因であり、
人々がそこに依存するから社会の活力が削がれる。福祉は最小限に切り詰める必要
がある、というのが基本的コンセプトだ。
同様に強者は自分の能力と努力で強者になったのだから、大きな富を得るのは当然
で、格差が生じるのはやむを得ない、よって所得税の累進性は極力弱めるべきで、
それによって強者には社会のエンジンとなって引っ張ってもらい、成長の結果と
して弱者にもいずれ恩恵が落ちるはずと考える。
(ただし最低限のセーフティネットは必要とする)。
かいつまんで言うと「平等」よりも「自由」を重視する考え方で、アメリカの
レーガン、ブッシュ、イギリスのサッチャーがこの系譜につらなることになる。
日本では小泉、安倍内閣の基本的スタンスと言えるだろう。

一方、リベラルは敗者、弱者の中には親の境遇、生まれつきの能力、運不運等、
本人にとって不可抗力的な力によってそうなる場合もあるから、社会で発生する
もっとも不幸な人々の境遇を改善することが政策目標になるべきである、と考える。
その目標のためには、福祉の充実と税の累進性を高めることが政策方向性に当然
含まれるので、所得税、消費税を含む国民の租税負担は大きくなり、政府そのもの
も「大きな政府」になりがちであるとは言えるだろう。
つまり保守に比較すると、自由より社会的平等を重視する考え方である。
北欧諸国を含む多くのヨーロッパ諸国やアメリカ次期大統領候補のヒラリー・
クリントンなどはリベラルと言ってもいいと思う。

社会主義の勃興と没落を間に挟んでいるが、歴史的には世界の自由主義社会は
常に「保守」と「リベラル」の間で揺れている。
例えば1800年代後半からのレッセ・フェール的保守主義(神の手が市場を
動かす)から、大恐慌の反省によってケインズ政策がとられるリベラルの時代を
経て、ケネディのリベラル路線、そして80年代のレーガン・ブッシュと連なる
保守路線(というか新自由主義路線)と常にこの二つの軸の間で揺れているのだ。

保守主義のベースには「不完全な人間」の理性への懐疑がある。
理性による社会のコントロールなど当てにならない、理想社会を建設するなど
不可能だから自由放任のほうがまだマシ、という「やむを得ない自由放任」と
いう側面があるのだが、現在の市場原理主義新自由主義思想になると、
「完全な自由市場を持つ自由民主主義国家が世界にあまねく広がる」という
『理想』を夢見ている点で既に本来の保守思想からも大きく逸脱してきている。
内容こそ違うが「過激な理想主義」という点ではイスラム原理主義と大差ない
と僕は感じている。

ちなみにイギリスではサッチャリズムの過激な新自由主義による格差拡大など
を受け、ブレア首相によってリベラル化(ブレア自身は第三の道、と呼んでいる。
事実、現在の欧米のリベラルでも競争と一定の格差を容認しないリベラルは存在
しない)が進んだし、アメリカでも次の大統領選で民主党候補が選出されれば
(その可能性は高そうだ)今後、行きすぎた新自由主義路線からリベラルの方向
に揺り戻されることになろう。日本の社会が今後どのような路線を選ぶかは、
選挙で投票する我々自身の判断と言えるだろう。

ただ、この二つの自由主義の善し悪しは別にして、いずれにしても市場原理主義
の破綻は明らかだと思う。
なぜなら地球資源の有限性と環境問題は「自由放任」では解決しないからだ。
世界中の国々が野放しのグローバル市場原理主義に狂奔してゆけば、地球の資源
はあっという間に枯渇し、環境破壊で人類が滅亡することは間違いない。
ちょうど畑を食い尽くすイナゴの大群のように、だ。
人間の理性を信じるにせよ、信じないにせよ、ここはひとつ地球の破滅は食い
止めたいものである。

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)