風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

吉田秀和のこと

先ほど帰宅して夕刊を開いたら吉田秀和文化勲章を受章した、というニュース
があった。僕は勲章と名のつくものはロクなもんじゃない、と思っている人間だけど
このニュースは正直嬉しかった。
僕はこの人が書く文章が大好きだから。

吉田秀和クラシック音楽の評論を長く手がけている人だ。
それ以外のエッセイもあるけれども圧倒的に音楽評論の人。
僕が彼の文章に接したのはもう15年ぐらい前だろうか?
「なんと美しい文章!」というのがその時の印象。
しかし、吉田秀和の文章はいわゆる「美文」ではない。
彼の文章は、極めて平明で論旨が判りやすく読みやすい。
それでいて気品と味わいと音楽の造詣と教養が溢れ出る文章なのだ。

そして、彼の文章は音楽を語りつつも時として音楽を離れ、違う思考の世界に
彷徨い出る。
それが読者にとっては、なんとも楽しく刺激的だ。
例えばこんな文章はどうだろう?
これはベネデッティ=ミケランジェリが弾いたベートーヴェンピアノソナタ32番
についての感想。

【引用始まり】 ---
第一楽章をがっちりと造形的立体的な演奏に終始したあと、第二楽章にはいる
と、彼は主題を目立って遅めのテンポで丹念にひきはじめたのだが、そのあと
つぎつぎと変奏をくりひろげながら、しだいに最高潮に音楽を発展させてゆく
につれて、冷厳な精神性とでも呼びたいような高みに達する。
この移りゆきの全体の中に、私はひどく無気味なものを感じた。
「冷たい」というのは完全に当たってはいない。だが、あすこには、ベートー
ヴェンにままある熱っぽい陶酔が少しも感じられないのだ。
恍惚や熱狂にたよらず、こんなに聴き手を呪縛する力をもつピアニストといえ
ば、私はバックハウスのほか知らない。だが、ミケランジェリのは、ひどく暗い。
それは感傷の暗さでなく、根本的に知的なものに由来する暗さである。
知的なものが、どうして暗いことになるのか?ときかれると私も返事にこまる
のだが。とにかくこの人のは、貴族的なベートーヴェンだった。
(「世界のピアニスト」より)
【引用終わり】 ---

そしてこれは吉田氏が見出し日本に紹介したと言って良い、グレン・グールド
演奏したバッハ「ゴールドベルク変奏曲」について。

【引用始まり】 ---
一言でいえば、グールドはランドフスカ以後、バッハをピアノでひくのを再び
可能にしたのである。しかし彼のひくのは、かってのリスト、ブゾーニ流の
バッハではないのだから、むしろバッハの実像をピアノで描くことを新しく
可能にした、というほうが正確だろう。
彼の演奏の速い走句たちの水際だった見事さ、よく歌う旋律(それはカノンの
多声書法の一つ一つの声部をよく区分した歩みにもまた驚くほど出ている)、
胸のすくような精緻なリズムと、フレーズの区切り方、テンポの良さ。
そういった全体がまるで苔の庭のような一分の隙もない緻密で濃密な音の敷物
を作りあげるのだが、その表面の艶々した瑞々しさと、その下を絶えず生きて
流れている叙情の味わいの気韻の高さ。
(「世界のピアニスト」より)
【引用終わり】 ---

クラシック音楽の評論、というと小林秀雄の「モォツアルト」が必ず引き合いに
出されるけれど、僕はこと音楽に関しては小林の評論は吉田秀和の足元にもおよ
ばないと感じている。小林秀雄は大したことを言っていないのに文章の力でさも
大したことを言っているように見せる術にたけている(笑)。しかし、吉田秀和
は音楽の内容そのものを深掘りし平明に、しかし本質を深くえぐり取って我々の
前に提示してくれるのだ。

どの本も素晴らしい本ばかりなのに、ほとんどが絶版・在庫切れなのは残念です。
全集も出ていますが、まぁいきなり全集は買わないでしょうし。
取りあえず入手しやすいこの本を紹介しておきます。

世界のピアニスト―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

世界のピアニスト―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)