風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「ソラリスの陽のもとに」

映画「ソラリス」。
原作はS.レムの「ソラリスの陽のもとに」というSF小説で、以前、ソ連
タルコフスキーという監督が映画化していたもののリメイクしたもの。
僕はこの原作がすごく好きで、それでこの映画に興味を持った。

映画の内容は残念ながら失望だった。タルコフスキーソラリスは長くて退屈
で、しかし、原作に忠実に映画化されていて良かったのに、こちらは短いのだ
けどあまりにも説明がなさすぎて、映画だけ見た人はわけがわからないだろうと思った。

ソラリスというのは惑星の名前で、ここの表面の大半をおおっている海は一個
有機体である。ここの海上に浮かぶ観測ステーションで不可解な事件が起こ
る。そのステーションの観測員それぞれの心の傷にもっとも密着した人たち
(もう死んだ人たちを含む)が突然現れるのだ。彼らは過去の記憶も持って
おり、まるで普通の人間としてふるまうが、実はソラリスの海の創造物なのだ。
主人公ケルヴィンの場合は、自分が自殺に追いやった妻ハリーが現れる。
混乱し苦しみつつも、ハリーを愛してしまうケルヴィン。自分は人間ではなく
単に「海」の創造物であることを知り、それに悩み苦しむハリー。

このあたりの心理描写がちゃんとしていないと、映画としては実につまらない
単なるSF宇宙ものになってしまう。さらに背景の説明が最低限必要だろうと
思う。タルコフスキーの映画は、そのあたりはちゃんとしていた、と記憶して
いる。音楽(バッハ=ブゾーニの「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」など)
とも相まっていい印象があったのに、、、
リメイクものってこうなりがちなのかな?

映画としてはこの主人公たちの心の葛藤を主題にせざるを得ないのだが、実は
原作者レムが本当に言いたかったことは、そういう人間ドラマではない。
この小説では、ソラリスの海が『何のために』そういう創造を行ったのか、
最後まで謎のままで終わる。
「人間との相互理解ということが全く考えられない、アナロジーを何一つ許さ
ない、人間の仮定や希望をすべて裏切るような知的生命体というものが宇宙
には存在する。ではそれは人間にとって何なのか?」というのが彼のこの小説
でのテーマなのだ。

人間は理解可能な説明を求めてやまない存在だ。
そんな人間にとっては「本質的な不可知性」は不条理と同じなのだ。
カフカの「審判」にあるように、最後まで何の説明もないままであることが
人間にとって一番後味が悪く耐えられないことだから。
いずれにせよこの原作、宇宙人とみれば「味方」か「敵」に分類して、ドン
パチやるか、友情で涙ウルウルするかの映画しか作れないハリウッドには、
所詮、不向きな原作だったのかもしれないとも思う。

レムは、惜しくもノーベル文学賞を取れなかった。
いろいろな意味で、とても残念だ、と個人的に思う。