風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

村上春樹「女のいない男たち」(6)「女のいない男たち」

第六話はこの本のタイトルに対応する「表題作」として書いた、と村上自身が
語っている「女のいない男たち」。
これは率直に言って軽い作品だ。
この短篇集がひとつの曲集だとすれば、聴かせどころがすべて終わったあとで
しめくくりに置かれた小品のようなものだろうか。いや、もっと正確には、
変奏曲の「主題」のような位置づけかもしれない。(変奏曲では曲の最初に
主題が来るが、小説でそれをやったら興醒めだ)

ストーリーは、ある日の夜中、僕のところに、はるか昔に恋人だった女性
「エム」の夫と名乗る男から「妻は先週の水曜日に自殺をしました。なには
ともあれお知らせしておかなくてはと思って」という電話がかかってきた
ところから始まる。そこからは、ひたすら「僕」の心の中の声(主として
「エム」の思い出、随想)とそこから展開される「女のいない男になるとは
どういうことか」というモノローグが綴られる。
たとえばこのように。

ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな
予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払い
も抜きで、出し抜けにあなたのものを訪れる。ひとつ角を曲がると、
自分がすでにそこにあることがあなたにはわかる。でももう後戻り
はできない。いったん角を曲がってしあめば、それがあなたにとっての、
たったひとつの世界になってしまう。
その世界ではあなたは「女のいない男たち」と呼ばれることになる。
どこまでも冷ややかな複数形で。

女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、
それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。ほとんどの場合、
(ご存じのように)彼女を連れて行ってしまうのは完治に長けた水夫たち
だ。彼らは言葉巧みに女たちを誘い、マルセイユだか象牙海岸だかに
手早く連れ去る。それに対して僕たらにはほとんどなすすべはない。
あるいは水夫たちと関わりなく、彼女たちは自分の命を断つかもしれない。
それについても、僕らにはほとんどなすすべはない。水夫たちにさえ
なすすべはない。

とてもわかり易いし、村上春樹節だなぁとは思うけれども、僕の心には
他の作品ほどは響かない。しかしながらこの作品があることによって
短篇集全体はひとつのまとまりを持ったと言える。

この短篇集全体を読んで、やはり村上春樹は僕にとって大切だし心に響く
作品を紡いでくれる作家だと再認識した。ただやはり、僕にとっては村上
春樹は長編こそ輝くし、短編はそれなりに面白いし今回などはその中でも
濃い作品群だったと思うけれど、どこか作家本人の息抜きであったり、
習作的意味合いがあったりするという見方は変わらない。
美術作品でもそうだが、習作には習作の面白さがあるし、今回の作品群
でもそういう部分は散見されたとは思うのだが。
村上春樹の次回作に期待しよう。

女のいない男たち

女のいない男たち