風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

村上春樹「女のいない男たち」(1)「ドライブ・マイ・カー」

村上春樹の新作は短篇集ということであまり期待せずこの本を買った。
1Q84」の時とは違って書店では平積みにされていて、いともたやすく
手に入った。

村上春樹は長編こそが素晴らしい作家、と僕は認識しているし、本人も
そのように思っているようだ。彼の短編は(いろいろな意味合いはあるのだ
ろうけれど)、画家で言うと大作に対するスケッチ、習作の意味合いが
色濃くあるように思える。特に前回の「東京奇譚集」にはいささか失望
したので、今回の作品もあまり期待せず買った。

しかし、僕の予想は嬉しいほうに外れた。
この短篇集は僕にとってはとても濃くて面白い。
そして何より、読むうちにいろいろなことを「語りたく」なる。
村上春樹の作品に限らず、素晴らしいとされている小説や音楽、そして
絵画などは、どうしてその作品について語りたくなるのだろう?

と、ここまで書いて、僕は問いのたて方が間違っていることに気づく。
「素晴らしい小説やアートは、なぜ人に何かを語らせたくするのか?」ではなく、
「ひとがそれについて何かを語りたくなるものこそが、素晴らしい小説であり、
アートなのだ」と。
ネットでざっくり書評を読んだが、どの書評も全部僕にとってはピントはずれで
しっくり来ない。良い作品は多義的であり、輻輳的でもあるので、いろいろな
見方ができるのはわかるが、それにしてもここまでしっくりこない書評ばかり
なのはどうしてだろう?(僕がおかしいのか?)
ただ、ブクログにあったwabuta氏のこの文章には深く同意するし、全くその
とおりだと思う。

人の痛みが判るか判らぬかは、その人の人生の意味の重さと深さを
決めてしまうと言ってもいいのではないだろうか。
それと同じに、この物語のテーマである「喪失の痛み」をくみ取るだけの
感性を持ち合わせているか否かが、本作を含む村上作品のなかのある
作品群の重さと深さを受け止める為に不可欠な素養である。

さて、この作品は以下の6つの短編から構成されている。
「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード
「木野」「女のいない男たち」
どの作品も主人公は別々でシチュエーションも違うけれど「女性に去られた
男たち」がテーマになっている。
こちらで、ひとつあるいは幾つかずつ、取り上げたいと思うけれども、まず
「ドライブ・マイ・カー」で、僕の心に残った一節を引用しよう。

主人公の家福(50代の性格俳優)は、癌で死んでしまった妻(正統派美人
女優)を心から愛していたのだが、妻は隠れて4人の男と性的関係を持って
いた。それを知った彼は「どうして彼女が他の男たちと寝なくてはならないのか」
が理解できず、苦しむが、どうしても妻に対してそれを言い出せない。

妻が他の男の腕に抱かれている様子を想像するのは、家福にとって
もちろんつらいことだった。つらくないわけはない。
目を閉じるとあれこれと具体的なイメージが頭に浮かんでは消えた。
そんなことを想像したくはなかったが、想像しないわけにいかなかった。
想像は鋭利な刃物のように、時間をかけて容赦なく彼を切り刻んだ。

妻の死後、その相手の一人の高槻と知り合った家福は、何故なのかを
知りたいあまり、高槻と一時的な友情関係を結ぶが、妻が何故高槻を性的
関係を持つ相手として選んだのかどうしても釈然としない。
その思いを臨時の専属ドライバーである渡利みさきに話す一節がこちら。

「でも、はっきり言ってたいしたやつじゃないんだ。性格は良いかもしれない。
ハンサムだし、笑顔も素敵だ。そして少なくとも調子の良い人間ではなかった。
でも敬意を抱きたくなるような人間ではない。正直だが奥行きに欠ける。
弱みを抱え、俳優としても二流だった。それに対して僕の奥さんは意志が
強く、底の深い女性だった。時間をかけてゆっくり静かにものを考えることの
できる人だった。なのになぜそんななんでもない男に心を惹かれ、抱かれ
なくてはならなかったのか、そのことが今でも棘のように心に刺さっている。」
「それはある意味では、家福さん自身に向けられた侮辱のようにさえ感じ
られる。そういうことですか?」
家福は少し考え、正直に認めた。「そういうことかもしれない」
「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」
とみさきはとても簡潔に言った。「だから寝たんです」
 家福は遠い風景を見るみたいに、みさきの横顔をただ眺めていた。
彼女は何度かワイパーを素早く動かして、フロントグラスについた
水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる
双子のように硬く軋んだ音を立てた。
「女の人にはそういうところがあるんです」とみさきは付け加えた。
言葉は浮かんでこなかった。だから家福は沈黙を守った。
「そういうのって病のようなものなんです。家福さん。考えてどうなる
ものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が
私をとことん傷めつけたのも、みんな病がやったことです。
頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、
ただやっていくしかないんです。」

「たいしたやつ」と「なんでもない」に村上は傍点をつけている。
男として家福がずっと拘ってきたポイントであるこの傍点部分は、
みさきにあっさり全否定される、笑。
「女の人にはそういうところがあるんです」という一言で。
本当にそうなのかどうなのか、当否は留保するとしても、この
鮮やかなどんでん返しは心に残る部分だった。

女のいない男たち

女のいない男たち