風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

命を拾った

朝一番の仕事を済ませ、検査結果を聞きに大学病院へ。
「良性でした。良かったですね」
医師の声で我を忘れ胸をなで下ろした。
信じられないような開放感。
一緒に行った家内はずっと一週間も神経性の胃炎に悩んでいた。
すっかり迷惑を掛けてしまった。

ここ2週間、本当に命が縮んだ。
これほど苦しんだことは近年、ない。
起きている間中、不安が重い石のように心にのしかかっていた。
「不安に思ってもしようがない」
「なるようにしかならない」
「どんな結果であってもベストを尽くすだけだ」
「この不安は多くの不安が重なり合って形成されているもので、
 一つずつの不安は大きくない。一つずつクリアすることが大切」
と自分に繰り返し言い聞かせ続けた。
深呼吸を繰り返し心をコントロールしようと努め続けた。
小川を思い浮かべ、不安や頭に想起するものを小舟に乗せて流すイメージを
繰り返し描いた。

それでも、ぎりぎりだったと思う。
不安をコントロールしつつ、何事もないような顔をして仕事をするのはきつかった。
血圧の薬を飲み忘れたり(結果的に血圧が相当上昇してしまった)、行かなくては
ならない場所をまるきり間違えたり、結果的にはいろいろポカもしていた。
しかし、よく耐えた、と思う。

音楽を聴く気にも、ピアノを弾く気ににもなれなかった。
大好きなサッカーの試合も見たくなかった。
たった一つ、心の慰めになったのは、本だった。
この期間、僕が繰り返し開いて読んだのは、
ヒルティ「眠られぬ夜のために」
マルクス・アウレリウス「自省録」
・新版「きけ わだつみのこえ
・第二集「きけ わだつみのこえ
・「シェイクスピア詩集」
だった。

今もまだ呆然としていて実感がわかない。
ずっと心に重石が乗った状態から解放されても、つぶれた布団が元の形に膨らまない
ように、すぐには戻らないのだろう。
もとに戻るにはまだ時間がかかるだろう。

「命を拾った」というのが実感だ。
神様が「お前はもう少し生きるのだ」と言ってくれたような気がする。
この期間、考えに考えて自分にとって何が大切か、痛切に判った。
「少し、真面目に考えて反省しなさい」と言われたように思う。
拾った命を大切に生きよう、と思う。