風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ピアノコンクールを見て

自宅近くのホールでアマチュアのためのピアノコンクールの予選が行われると
聞いて、出かけていった。
その感想。

出演者は皆、コンクールを目指して練習しているだけあって、指のメカニック、
テクニックは見事なもので、中には音大卒業生か?と思えるほどの人もいる。
選んでいる自由曲は、リストのエチュードやら、シューマンの交響練習曲やら、
はたまたショパンのバラードなど、難曲中の難曲が並んでいる。
一聴して、凄いなぁ、と思った。僕なんかとは全然、レベルが違う。
彼らの演奏と比べたら僕の演奏など(最近ハマっている「あまちゃん」の
鈴鹿ひろ美のセリフに頻出する)『ちゃんちゃらおかしい』だ。

しかし、何人か続けて聞くうち、僕はすっかり退屈してしまった。
演奏が全然面白くなく、心に音楽がちっとも届かないのだ。
こんなに、音楽が心に届いてこないのも久しぶりだ、と思ってしまった。
立派なテクニックで、間違いもなく、弾ききっているのに、どうして僕の心に
届かないのだろう?
分析好きの僕は途中からは音楽は聞き流しながらそんなことばかり考えていた。

仮説その1
演奏されている曲に知らない曲が多いため。
僕はそこそこのピアノマニアなので、僕が知らない曲は一般にほとんど知られて
いない曲、と言っていいと思う。出演者はそんな曲を精一杯弾いてくれている。
しかし、である。一般的に言って「多くの人に知られていない曲」は名曲に
比べて音楽的魅力が薄い曲である。音楽的魅力が薄い曲を人に聴かせるには
普通の工夫、普通のテクニックでは無理というものだ。
超絶的技巧を持つプロでもチェルニーの練習曲は魅力的に弾くのは無理だろう。
名曲は音楽的な作りがしっかりしているものが多いし、自然に弾けば音楽の
力で演奏者の下手さをカバーしてくれる、というのが僕の持論。

仮説その2
演奏者が知り合いではないため。
俗に言う「エモーショナル・ファクター」は馬鹿にならない。
知らない人が上手に演奏するより、人となりを知っている人が下手に演奏する
ほうが心に響くのは「子供の発表会で自分の子供の演奏に聞き惚れる親」を
見れば納得できるであろう。もちろん、好意を持っている演奏者の演奏にしか
エモーショナル・ファクターはプラスには働かないのだが。

仮説その3
マチュアピアニストは音楽の構成力と音色のパレットの多さ、ダイナミック
レンジの広さに明らかにプロとは差があるため。
指のメカニック(間違いなく素早く鍵盤を押す能力)はプロとさほど差はなく
ても、その他には大きな違いがある。もっとも今日の演奏者の中にも、数名
音色のパレットやダイナミックレンジに優れた人がいたが。

最後に、今回コンクールを見て、不特定多数の人の前でピアノを弾くことは
「自分がしたいこと」ではないなぁと改めて思った。
僕は自分の知らない人にピアノを聞いてもらいたい、自分の音楽を届けたいと
思っておらず、まずは「自分という聴衆」に満足できる演奏をしたい、と
思っている。どんなプロのピアニストでも100%僕が満足するようには弾いて
くれない。だから、僕は自分のためにピアノを弾いているのだと思う。