風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

宮崎駿の「風立ちぬ」

久しぶりに映画を見た。
スタジオジブリの「風立ちぬ」である。
わざわざチケットを予約して一人で映画館に行って見た。
つまり、それほどこの映画を見たかったのである。
映画が終わると周囲の観客はすっかり退屈していた。
左隣のカップルの若い男性は「ごめん、眠ってた」と言っていたし、右隣の子供
連れの母親は「ピカチューの映画を見た方が良かったね」と子供に謝っていた。

僕の見終わっての感想。
宮崎駿は、とうとう自分の言いたいことを言ったのだ、と思った。
実は僕は、この原作の漫画(宮崎駿自身が月刊モデル・グラフィックス誌に連載
したもの)をリアルタイムで読んでいる。いや、そればかりかとても気に入って、
切り抜いたページを自分で製本し今でも持っている。
それが映画になるとこうなるのか、と一種独特の感慨を持った。

宮崎駿は矛盾の人である。
それは模型誌に彼が趣味で連載した漫画群「泥だらけの虎」や「宮崎駿の雑想
ノート」などを見れば明らかだ。
彼は「雑想ノート」の前書きでこう書いている。

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あんまり人に自慢できる趣味じやないんですが、ようするに軍事関係
のことが好きなんですね。くだらないなアと思いながらも、軍事関係
のことが好きなんです。なんと愚かなことをするんだろう・・・と
思いながら、なんてバカなんだろうと思いながら戦記などを読んで
いるんです。でも、愚かだとわかりつつも、狂気の情熱みたいなものが、
どこかで好きなんですね。しかし、肯定しているかというと、そうでは
なく否定しているんですが、そういう矛盾が整理されないまま、ずーっ
とこの趣味を、もうかれこれ40年近くやっていると、色々たまって
くるんですよね。
で、それを出したくなるんです。

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この映画の主人公、堀越二郎零戦の設計者として名高い実在の人物をモデルに
している(話に出てくる7試艦戦、9試単戦の設計の話はどれも実話だし、二郎が
働いているのは実在の三菱航空機だ)。二郎は「美しい飛行機を作りたい」と
いう夢に向かって一心に、脇目もふらず仕事をする。それが戦争に使われる道具
であるということは百も知りながら、美しいものを作りたい、というエンジニア
の狂気にも似たenthusiasmに突き動かされて。
美しいものを、素晴らしいものを作りたいという欲求はエンジニアに限ったもの
ではない。芸術家もそうであるし、事業家であれ何であれそういう人はいる。
しかし、どんなフィールドであれ「自分の理想の○○を××したい」という熱い
思いに取り付かれた人は「業」を背負うことになる。
それは悪しき歴史や事象に積極的に関与するという形で現れることもあるし、
周囲の人を不幸にする、という形で現れることもある。
二郎も結核を患う最愛の妻、菜穂子を空気の悪い名古屋で同居させることで、
彼女の命を縮める。さらに言えば、二郎は半ばそれを覚悟して割り切っている。
なんという薄情さと業の深さであろうか。

宮崎駿はこの「業の深さ」を知り抜いている人だと僕は思う。
それは何より上に引用したコメントに現れている。
いろいろ言っているが、彼は軍事関係のことが心の底から好きなのだ。
そしてその事実が、人に自慢できることではなく、後ろめたい思いをかき立て
られるし、もっともらしく説明したり弁明したくなるたぐいのものであることも
わかった上で、それでもどうしようもなく好きなのである。
これを業と呼ばずして、なんと呼べば良いのか?
この映画では宮崎は二郎の「飛行機の美しさに対する憧れ」に転嫁して描いている
けれども、本当はその飛行機が単なる旅客機であったらなら、ここまで彼は描き
たいと思わなかったろう、と僕は確信する。
彼が作る飛行機が「軍用機」であったからこそ、彼は惹かれているのだ。
『自分は邪悪な戦争と人殺しの道具である兵器に惹かれてしまう』という矛盾!
そんな思いを彼は整理し、ある意味では居直って、人間にはそんな矛盾が充ち
満ちているのだ、これも人生のひとつの現実なのだ、という思いがこの映画を
作った動機ではないのか?

かつて僕はこのブログで、空を飛ぶ敵機の姿を見て「戦争とは斯くも美しきもの
かな」という谷崎潤一郎の言葉を取り上げた蓮實重彦氏の文章を取り上げたこと
があった。(<美>について - 知のモラル(1)
戦争は、そして、人殺しの道具は美しいし、人を虜にする魔力があるのだ。

最後にもうひとつ。
この映画では戦前の日本の暮らしや風景が実に丁寧に描かれている。
水を張った水田と入道雲、昭和初期の街の風景、蒸気機関車やポンポン汽船、
折り目正しい人々の言葉と挨拶、したたり落ちる汗と設計室の製図台と計算尺
これは映画の本筋とは全く離れて素晴らしいものであった。
特に、描かれた戦前の軽井沢の風景を見ていると、もう一度、軽井沢に行って
みたくなった。

映画「風立ちぬ」公式サイト