一生を終えて残るもの 〜「氷点」を読んで(2)
三浦綾子「氷点」「続・氷点」には心に残る言葉が沢山でてくる。
中でも僕にとって非常に印象深く響いた言葉がこれだ。
【引用始まり】 ---
一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが
与えたものである
【引用終わり】 ---
実にいい言葉だと思う。
そしてまったくその通りだ、と思う。
ここ数年、親戚や友人などを亡くして改めて思うのは、彼らは僕の中に生きて
いて、彼らが僕に「与えてくれたもの」(まさか誤解されることはないと思うが、
お金とか物とかそういう意味ではない)がまさに僕の中の中核で礎となっている、
のだ。
今までだってたいして「集めた」わけじゃないけれど(笑)、自分のために
何かを「集める」のはもういい、と思う。
それよりも、周囲に与えたい。
家族に、会社の同僚に、そして社会に。
もっともっと、いろいろなものを還元したいと思う。
ひとつ、昔から思っていることがある。
僕は小学校から大学まで教育はすべて国公立の学校だけで受けてきた。
つまり、国民の税金で格安で教育してもらったわけだ。
そういう人間が、単に働いて家族を養い所得から税金を納めるだけでいいの
だろうか。
いや、社会にそれ以上の何かを還元しないといけない、と僕は思うのだ。
だから仕事の上でも、単にお金を儲ける、という以上の気持ちを、常に渇望に近い
形で持っている。仕事を通じて少しでもこの社会に貢献できれば、と思うのだ。
ひょっとしたら実際の貢献はほとんどないのかもしれない。
しかし、たとえその場合であっても周囲に対して、フランクルの言う「態度価値」
だけでも与えられるように生きたいと願う。
そして家族。
家族には、与えられるものをすべて与えたい。
「愛」はもちろんだけれど、それ以外にももっといろいろなことを。
伝わることもあるだろうし、伝わらないこともあるだろう。
伝わらないことも、ずっと先になっていつか伝わることもあるかもしれない。
それは誰にもわからない。
だから、大切なことを伝える努力をしたいと思う。
一生を終えて残ったものが「集めたもの」だけの人生では哀しい。
「氷点」のこの言葉を読んで決意を新たにした次第です。
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