風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

善い息子になるしかない

父が病気になり、かつ法律問題が持ち上がって母と話すことが多くなった。
これまでは1年に3回程度顔を合わせ、1ヶ月に1度程度電話で話すだけだった
のに、父の治療方針について、介護の方針について、法律問題について等々、殆ど
毎日、母と電話で話しているのだが、その中で僕はどうしても苛立ってしまい、
ひどく冷たい対応をしてしまう。
それは可哀想だ、ということも分かっているのだが、対応が必要な問題について
オロオロと沈んだ声で長々と話をされるとひどくイライラしてしまう。
その結果、僕はひどく事務的に「もっとも効率的なソリューション」をピシリと
告げて会話を終わらせてしまうのだ。
これまで比較的仲の良い親子であったにも関わらず、どうしてここまでイライラ
してしまうのだろうか?

一つは親の無力さ、能力の劣化を目の当たりにすることに対する苛立ちだと思う。
自分が子供のころは親は偉大な存在で、僕よりも何事につけても物事を理解して
いて、問題をテキパキと対処していた。結婚して別に居を構えてからは、そういう
姿を見ることはなくなったが「なんとか問題なくやっている」ことは知っていたし
それでもって安心していた。しかし、父の入院と危篤にともなって知ることにな
った法律問題で、もう両親とも自分たちの問題に対して正しい対処が出来ない
レベルであることを否応なく知らされることになった。
もちろん母の年齢であるからして頭の回転も遅くなってきているし、話もくどく
なっている。まだビジネス最前線で切った張ったをやっている僕とギャップが
あることがやむを得ないことは分かってはいるのだが「あの母がこのレベル
なのか」という嘆き、悔しさ、苛立ちが湧き上がっていることは間違いない。

もうひとつは恐らく母の自信なげな口調に「甘え」を感じ取っているからかも
しれない。僕の家は個人の自立を非常に重んじてきた家で、それ故に家族間
の「甘え」が少ない家族であり、それを良しとしてきた家族でもあった。
甘えては駄目だろ、という反発が僕の心の奥底にあるのは自覚している。
それが年老いた母に対して如何に残酷なことかは分かっているのだが、いや、
それをしちゃ駄目でしょ?まず、あなたが主体的に考えて立ち向かう問題でしょ?
という言葉が心の中から吹き上がってくることは認めざるを得ない。

母は家内に「あの子は優しい子なんだと思うのだが、どうしてあんなにビシビシ
言うのだろう。それほど厳しい職場なのだろうか」とこぼしていたとのこと。
まったく情の薄い残酷な息子である。
僕は多分、自分の人生の中で大切なものを落としてきたのに相違ない。
それは「この世界」で生き残るために自らが全力を尽くすこと、そして他人にも
全力を出し切ることを厳しく求める日々の中で、すり減らし、失い、落として
きたものなのだ、と思う。

母の歳を考えると自分と同じ土俵で考えるべきではない。
彼女の老化は進む一方なのだから労らなければ、と思う。
老いた母そして父は、もう変わらないし変われない。
僕は失ったものを拾い集めて「善い息子」になるしかないのだ。