風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

凸凹で生きてゆく(改めて気づいたこと)

父関連で新たな問題が浮上し、その対策にこの土日は追われていた。
今年は本当に厄年と言ってよく、実父の危篤、義父の危篤、実父のこの問題、
と次から次へと難題が持ち上がり、その全てが解決の緒も全く見えない。
僕も、仕事以外の時間の大半を現在これらの諸問題に費やしているが、先が
見えない、暗闇を手探りで進む辛さと心細さがひしひしと身に染みこんでくる。

傲慢だったのだな、僕は。と思う。
僕は自分の人生を可能な限り精密にコントロールして生き、QOLの高い人生、
満足感が多く気苦労の少ない人生を送ってゆきたい、と思ってきた。
恐らくそれ故に、僕は複雑さを含めてこの世界の全てを、人生の全てを知りたい、
と考え、念じ、勉強を試みてきたのだと思う。
そして、今までは僕はある程度、それに成功してきていたのだ。
このような人生がずっと続くのではないか、と漠然と思っていた部分もある。
しかし、それは甘かった、と思い知らされた。
恐らくそれが瞬間的にも可能だったのは、僕が生まれたのがこの日本という国で
安定した社会と安定したシステム、そして周囲に恵まれたこと、そして何よりも
僕自身が若かったことから奇跡的にそういう達成がなされたのだと思う。

人生の後半に踏み込み、親のこと(問題)や自分の健康のこと(問題)に直面し
始めるにつれ、コントロール不可能なファクターがどんどん増えてきた、と痛感
している。特に親の生死のこと、自分が知らない世界で親が抱え込んでいた問題
などは、自分がどうやってもコントロール不可能な事柄である。また、今現在は
そんな問題はないけれども、自分が重い病気を発病した場合だってそうだろう。
人生後半期は諸問題をコントロールするために、問題点を自力で潰しまくること
でフラットで(=問題点の少ない)QOLの高い人生を送れるようには出来て
おらず、そのようなアプローチを試み続けることは、恐るべき量の努力の投入に
対して極々僅かなリターンしかもたらさないであろう。

これからは「人生は凸凹であり、凹の部分(コントロールできない重い諸問題)
を抱えてそれらは解決不能であることを納得しつつ、凸(一瞬の楽しみ、喜び
であったり、小確幸であったり)でその凹部分を埋めることで、苦しみと共存
して生きてゆくアプローチ」を取るしかない、と覚悟した。
なぁんだ、そんなこと、前から我々は普通にやってますよ、という人が大半なん
だろうと思うが、今この歳になって僕は改めて気づいた、苦笑。
自分にとっては大切なことなので、ここに書き留めておく。