風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

三浦綾子「氷点」を読んで(1)

三浦綾子の小説は「塩狩峠」しか読んだことがなかった。
塩狩峠」は高校時代に友人に強く薦められて読み、強烈に感動したのだが、
その友人に「どうだ。いい小説だったろう?」と得意げに言われて(若さゆえ)
反発しあれこれと難癖をつけたことを思い出す。
そして「氷点」は名作だと評判は聞いていたし、家人が本を持っていたにも
かかわらず、結局、これまでページを開くこともなかった。
それを今回、あづみさんの記事を見て読んでみようと思い立ったのだ。

読んでみてやはりすごい小説だと思った。
登場人物の心理が実にリアルに描かれている。
ごく普通の市井の人の心の中に潜む邪悪な部分、よこしまな部分、善良な部分、
優しい部分が実に細やかに表現されているのだ。
しかし、そんな点で優れた小説は何も「氷点」だけではない。
この小説の本当に優れた部分は、もっと他にある。

さて、僕が「氷点(上・下)」を読み終わるころ、ちょうどTVでスペシャ
ドラマとして「氷点」の放送があった。このドラマは前編が「氷点」に、後編
が「続・氷点」に対応しているのだが、前編を見終わったとき「何かとても大切
なものがこのTVドラマからは伝わってこない」と強く感じた。
それはいったい何だろう?
それをずっと考え続けてきたのだが、やっとそれが何なのか思い当たった。
伝わってこなかったのは、陽子の「自殺の理由」だ。

この話では、主人公陽子は「非の打ち所のない少女」として描かれている。
陽子の父親・啓造が妻への嫉妬と復讐のために愛娘を殺した殺人犯の娘(陽子)
を孤児院から引き取ったり、母・夏枝がそれを知って陽子を虐め続けたりする
のと、鮮やかと言っていい対比を見せている。(陽子はいくら虐められても
決して母親を恨まないけなげな少女として描かれている)
しかし、そんな陽子が最後で「自分は啓造・夏枝の娘を殺した殺人犯の娘である」
と告げられ自殺を計る。
TVでは、この理由を書いた「陽子の遺書」はナレーションで読まれたものの、
多くの視聴者は「自分が『殺人犯の娘』というショックで自殺した。健気で
純粋な娘が可哀想に」程度にしか受け取れなかったのではないだろうか?
それでは三浦綾子の意図は全く伝わらなかったことになる。

陽子の遺書の核心部分を抜き書きしよう。

【引用始まり】 ---
今まで、どんなにつらい時でも、じっと耐えることができましたのは、
自分は決して悪くはないのだ、自分は正しいのだ、無垢なのだという
思いに支えられていたからでした。でも殺人者の娘であると知った今、
私は私のよって立つ所を失いました。

 現実に、私は人を殺したことはありません。しかし法にふれる罪こそ
犯しませんでしたが、考えてみますと、父が殺人を犯したということは、
私にもその可能性があることなのでした。
 自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われよう
と、意地悪くいじめられようと、胸をはって生きて行ける強い人間でした。
そんなことで損なわれることのない人間でした。
何故なら、それは自分のソトのことですから。

 しかし、自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。
どんな時でもいじけることのなかった私。陽子という名のように、この世の
光の如く明るく生きようとした私は、おかあさんからごらんになると、腹の
立つほどふてぶてしい人間だったことでしょう。

 けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きてきた陽子の心
にも、氷点があったのだということを。
 私の心は凍えてしまいました。
陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。
私はもう、人の前に顔を上げることができません。
どんな小さな子供の前にも。この罪ある自分であるという事実に耐えて
生きて行く時にこそ、ほんとうの生き方がわかるのだという気も致します。
【引用終わり】 ---

陽子が死を選んだのには二つの理由がくみ取れる。
ひとつは、いくら自分が無垢に純粋に正しく生きていても「実娘の殺人者の娘」
という事実によって「自分の存在そのもの」が啓造・夏枝を苦しめてきたという
事実。もうひとつは、いくら自分が意志的に正しく生きているつもりでも、自分
とていつ何時罪を犯してしまうかもしれないという思いだ。

つまり陽子の苦しみは、「存在そのものが抱える罪(キリスト教で言うところの
『原罪』)」に対する絶望なのだ。
三浦綾子は陽子の性格を敢えて「非の打ち所のない少女」に設定することで、
そんな人間でさえ原罪を抱えており、逃れられないことを指し示した。
加えて、啓造や夏枝や他の登場人物たちの言動を通して、人間がいかに弱く、
愚かで、肉と魂の分離した罪深い存在であるのか嫌というほど示すのだ。
これが何より、この小説の優れていて、そして実に深い部分だと思う。

では、全ての人間が罪人であるならば、生きている意味などないのか?
そうではない。
だからこそ、陽子は死の淵から生還し、その解決が「続・氷点」で語られる。
原罪をひとしく持つ人間が生きてゆくにはいったいどうすればいいのか?
三浦綾子の答が「続・氷点」では示されることになる。

(この小説についてはまた記事を書きたいと思います)

氷点 (上) (角川文庫 (5025))

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