風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「父親たちの星条旗」

「平和を欲するなら、まず戦争を理解せよ」
著名な戦史研究家バジル・リデル・ハート卿の言葉である。
しかし我々が知っている戦争とはどんなものだろう?
TVが伝えるイラク戦争の映像だろうか?
そして学校で習う日本史、戦争文学や戦争映画。
せいぜいそんなところではないだろうか。

そんな中で戦争映画は古くからジャンルとして成立している。
かつての戦争映画は本当にひどかった。
どれぐらいひどいものだったかは、今でもアメリカ軍がイラクに向かう兵士達
の戦意高揚のために昔のハリウッド戦争映画を多量に見させていることからも
ご想像いただけるものと思う。
史上最大の作戦」「バルジ大作戦」「ヨーロッパの解放」etc.etc.
こういった戦争映画では、勇気ある兵士たちが不屈の闘志で祖国の正義のため
に戦い抜く姿が描かれ、戦争は「大叙事詩」として表現されてきた。
一方、日本で作られた戦争映画の多くは力点を出征する兵士と残された家族・
恋人たちのセンチメンタルな描写に置き、戦場そのものの様子を直視すること
は慎重に避けてきた。

これらの戦争映画には共通の顕著な特徴がある。
兵士達が傷つき、死にゆく姿にリアリティがない点だ。
もちろん血が流れないわけではないが、本当の戦場における凄惨さを画面では
決して表現しない。そこには「青少年に対する配慮」もあったのだろうが、戦争
について伝えるべき大切なものを結果的に隠匿することになってきたと思う。
この流れが変わってきたのはスピルバーグが監督した「プライベート・ライアン
あたりからではなかったろうか? そしてそれは「バンド・オブ・ブラザーズ」に
引き継がれ、今回僕が見た「父親たちの星条旗」にも受け継がれている。
この映画では第二次大戦での硫黄島での死闘が米軍側から描写される。

父親たちの星条旗」で描かれる戦場での死は凄惨だ。
腕がちぎれ、首が飛び、内臓が飛び出す。
榴弾で自決した日本兵の死体の様子など、到底ここに書けないほどだ。
そして、これでもか、というほど登場する傷つき血を流す兵士たちの苦悶と
悲鳴、そして死への恐怖。
それがまったく感傷なく描かれる。

これがリアルな戦争なのだと思う。
そして、我々はそれを直視しなくてはならない。
根っからのヒューマニストであるスティーブン・スピルバーグという人
(今回は製作)が自身が関わる戦争映画で、なぜいつもこのような凄惨な描写
を『敢えてしている』のかよく考えてみる必要がある。
彼は凄惨な戦場の本当の姿を美化せずに伝えることこそ、平和の希求への第一歩
と考えているのではないだろうか。

また、この映画では硫黄島星条旗を掲げた「ヒーロー」たち3人がいかに戦費
調達の小道具として徹底的に利用され、個人の気持ちを踏みにじられてゆくか、
その様子も描いている。マクロとしての国家正義の貫徹のために「ミクロ」の
3人の人生は蟻のように踏みつぶされ忘れ去られてゆく。そして心に深い傷を
負った彼ら個人の人生はそれからもずっとずっと続いたのだ。
この映画を見終わったとき、多くの観客は彼らを使い捨ての道具のように利用した
米国政府に対して怒りと敵意を感じただろう。

これもまた戦争の真実なのだ。
もともとマクロの国家正義とミクロの個人の正義は両立しえないものなのだが、
戦争においてその齟齬がもたらすものは、ある場合は命に関わり、ある場合は
個人の運命に直結する。その軋轢の「やりきれなさ」すら描けていないとしたら、
そんな戦争映画は全く意味がないと言っていい。

久しぶりに見るに耐える良質な映画を見た、という気がしている。
もうすぐ公開される「硫黄島からの手紙」もぜひ見にいこうと思っている。

父親たちの星条旗 [DVD]

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