風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

リミッターを外す

心のリミッターを外す、って意味はお分かりでしょうか?
アスリートが自分の力の極限まで絞り出すときに使う手法だ。
一般の人間は筋肉や骨の破壊を避けるために、実際の体組織が破壊する強度の
かなり手前で心が無理な力を出さないようにコントロールしている。
そのコントロール限界を故意に引き上げることが「心のリミッターを外す」こと
で、それによって普通では出せないような力やスピードを出すことが出来たりする。
これはアスリートの世界に限ったものでもない。
俗に言う「火事場の馬鹿力」というのも危機的状況で「心のリミッターが外れる」
ことで発揮されるものなのだ。

リミッター外しは運動機能に止まらない。
テレビの画面で評論家が偉そうなことを言っている。
「だから僕はね、思うわけです。
 ある人の言動を否定するのは別にその人を否定しているわけじゃない。
 アメリカ人なんかみてみなさいよ。駄目なものは駄目と堂々と言いあって
 煙の出そうな言い合いをしているけど、終わったらけろっとしている。
感情と論理は別物なんですから。
 日本人もそういう流儀で丁々発止とやらなきゃいけないと思うんですよ」

「その人そのものを否定しているのではない。言動に反論するだけ」なんて
よくもまあそんなキレイゴトを言うよ、と思う。
だいたい、言動とその人そのものを切り離すなんてそんなことができるのか?
「その人の言動に対する評価」と「人格に対する評価」は別物だって?
なにをたわけた世迷い事を、と僕は苦笑する。

遠心分離器で物質を分離するのとはわけが違う。
「人の言動を否定すること」は、間違いなく「その人を否定する」ことだ。
だから、普通の人は気分を害するし、面白くないし、腹を立てる。
人の感情からしてごくアタリマエの話だ。
だから、普通の人は他人の言動におおっぴらに文句をつけるのがイヤなのだ。
だから、普通の人間は自分の「心のリミッター」を感じて口ごもる。
そのリミッターの働きは正常な人間の証だ。

それなのに一部の人達はいとも簡単に心のリミッターをはずしてしまう。
外してしまったらもう簡単、論理と感情は切り離せると信じているから言い
たい放題だ。なにしろ、指摘されて気分を害したり傷ついたりしたら、傷つ
いた相手のほうが悪いのだから。
なんとも簡単な話だ。

そうやって、自分の心のリミッターを外した連中が偉そうな顔をしてのさば
ってゆく。そんな連中の無神経な言動に、人々は永遠に傷つけられ、舐められ
続けてゆく。
だが覚えておかなくてはならないことがある。
「リミッターを外す」ことは、元来、人として自然に反する行為なのだ。
アスリートなら必ず「故障」「選手生命の短縮」という形で必ずツケが回ってくる。
心のリミッターを外す時にはよほど慎重に、そして自戒の念を持って、そして最後
には自分に必ずツケが回ってくることを覚悟して外さなくてはならない。