風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ふるさと

僕は都会生まれの都会育ち。
そして生まれてからこのかた、生まれた土地の比較的近辺で暮らして現在に至って
いる。だから僕は自分が「ふるさと」というものをわかっていないように思う。
歌や小説や詩などには「ふるさと」について語ったものが沢山ある。
僕はそれを聞いて(読んで)「いいなぁ」と思うことがあるけれど、きっとそれは
「観念としての”ふるさと”」を理解した気になっているだけなのだろう。
多分、僕は「ふるさと」について、何もわかっていないに違いない。

こうも考えてみる。
現在、親と同居しているわけではないのだから、いくら近所でも僕が子供時代を
過ごした家(=父母が住んでいる家)は僕の「ふるさと」と呼べるのでは?と。
でも、それはちょっと違う気がする。
何故だろう?
多分それは、今僕が住んでいる所が父母の住んでいる家とあまりに近いからだと
思う。

ここまで考えてみて「ふるさと」とは、自分がそこから離れて生活している時に
初めて成立する概念かもしれないと思い至る。
僕だって、例えば日本の遠いどこかに居を移したり、あるいは世界の他の国に住む
ことになったりしたら、この騒がしい猥雑な都会を「ふるさと」として思い出し
憧憬の念を持つこともあるのだろうと思うのだ。

僕の奥さんは遠い海辺の町の出身だ。
魚が美味しくて、海が綺麗で、でも過疎になりつつあるような小さな町。
彼女は自分のご両親と折り合いが悪く、もう何年も帰省していない。
彼女の心の奥にある「ふるさと」への思いはどうなのだろう?
こんど聞いてみたい。
そしてできたら、いつか一緒に彼女の「ふるさと」に旅したいと思う。