風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「ブッデンブローク家の人びと」を読んで

先日「読みたい」と書いたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を
読み終えた。いや、面白いのなんの、分厚い文庫3冊(1000ページ以上)を一気に
読み通してしまった。

上巻に描かれている初代ブッデンブロークと二代目ブッデンブロークは実務的で
生のエネルギーに溢れた単純な『商人』だ。
ここで『商人』とカッコ付けで書くのは、いわゆる日本人が一般にイメージする
『商人』とは違うからだ。ここでの『商人』とは、マックス・ウェーバー
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に描いたようなプロテス
タントの倫理(倹約、正直、謹厳実直、勤勉)を体現したようなヨーロッパ
市民階級の『商人』。
イメージが難しいけれど、極めてまっとうで礼儀正しく仕事熱心でいつも正直な
一流ビジネスマン、というイメージになるかもしれない。

さて、一家はいろいろな世間の荒波に耐えつつも社業を発展させてゆく。
この単純な一家が変わりはじめるのは三代目のトーマスからだ。
このトーマスは内面に複雑な心を持ちながらも、何よりも一家の繁栄の為に私情
を(ある時は人間としての優しさや思いやりも)捨て、その複雑さをおくびにも
出さず社業の発展に邁進するのだが、思ったほどに商売のなりゆきは良くならない。
37歳にして市の参事会員にまで上り詰めたトーマスだったが、ある日、いいよう
がないほど自分が疲れていることに気づく。
本来複雑な人間であったトーマスは「単純な」父や祖父のように、如歳ない有能
な商人として外面的には精一杯ふるまっていたのだが、その内的な矛盾や商売上
の非情さに常に悩み苦しんできた。
そういう思いを『商会のため』と全て自らの内面に押し込め続けてきたが故の
「疲れ」だったのだ。

【引用始まり】 ---
トーマス・ブッデンブロークは、商人だろうか、右顧左眄せずに行動する人間
だろうか、−それともくよくよと思いあぐむ思考の人間だろうか?
 さよう、問題はそれだった。いつもそれが問題だった。
思い出すときから、以前から!
人生は、きびしい世界であった。
そして、遠慮や感傷を知らない商人の生活は、全人生の縮図だった。
このきびしい実際的な生活で、トーマス・ブッデンブロークは、父祖たちの
ように、両足をふんばって、流されずに、しっかり立っているだろうか?
それを疑う理由が、今までもいくどとなく若い頃からあったのではなかろうか?
今までも人生について自分の感じ方をいくども訂正しなくてはならなかった。
・・・・むごいことをして、むごいことをされて、それをむごいことと感じ
なくて、当然のことのように感じる
−この態度を自分にたたきこむことはできないのだろうか?
【引用終わり】 ---

僕はこの三代目のトーマスに、自分とよく似たものを感じる。
僕もビジネスのため、と割り切って取引先に残酷とも言えるような条件を突き
つけたり、本当は手をさしのべてあげたい人たちの取引上の要請をはねつけた
ことがある。
そういう時「That's business」と割り切ることができない僕がいつもいた。
僕が、今、感じているどうしようもない疲れはトーマスの疲れと同じものだ。
いったいどこまで非情になれば、何回それを繰り返せば、終わりがくるのか?
一言で言えば、そういうことだ。

さて、それでもトーマスは果敢に自分を鼓舞させようと、自宅を新築して気持ち
を新たにし、投機的な取引にも敢えて打って出てみたりする。
しかし疲れはどうしても解消しない。
それに輪をかけてトーマスの息子ハンノは精神的にも肉体的にも脆弱で夢見がち
な芸術家タイプで、ピアノ演奏だけに夢中で勉強や実業や現実には全く興味を
見せない。トーマスは息子に対しての期待を失い、自分自身がどう死と向き
合うのかについて考え込むようになる。
トーマス・ブッデンブロークの「Middle Age Crisis(中年期の心の危機:
第二の思春期)」が始まったのだ。

【引用始まり】 ---
トーマス・ブッデンブロークは、これまでカトリック教の軽い趣味をもて遊び
はしたが、ほんとうは真正な熱狂的なプロテスタントの真剣な、深い、自虐的
なまでにきびしい、妥協のない責任感にみたされていた。
さよう、最高の問題(私注:自分の死にどう向き合うか)について、外部から
の助力、仲介、免罪、麻痺、慰安は考えられなかった!
自力で神の力も借りずに、自分一人の力で、おそくなりすぎないうちに、休み
なく、ひたすら努力をつづけて、謎を解き、はっきりとした用意を闘い取るか、
絶望のうちに死んで行くかであった。
・・・トーマス・ブッデンブロークは、一人息子に失望して、絶望して顔を
そむけ、息子のなかに、逞しく若返って生きつづけようという希望を捨てて
しまった。どこかに待っているにちがいない真理を、急いで、不安におののき
ながら探し始めていた。
【引用終わり】 ---

トーマスはこの後、ショーペンハウエルの哲学を読み、わずかに真理に近づ
いたように感じたものの、歯医者の帰りに石畳で転んで頭を打ってあっさりと
死んでしまう。
それに続いてひ弱なハンノ少年もチフスであっさりと命を奪われ、ブッデン
ブローク一族は絶え、物語は終わる。

この物語の重要な登場人物にトーマスの妹のトーニ(アントーニエ)がいる。
トーニは「商会のため」に二度の結婚をするが、二度とも失敗に終わる。
その娘のエーリカも同じように結婚に失敗する。それでも、このトーニは
トーマスとハンノが死に家系が絶えてもブッデンブローク一家の誇りを捨てず
生きていこうとする。トーニは、やたらとプライドだけ高い愚かな女性として
描かれているけれども「女性の生命力、精神力のタフさ」というものをこの
登場人物からは感じずにはおれない。

それにしても、驚嘆するのはトーマス・マンがこの物語を完成させたのが若干
26歳であった、ということだ。
確かにこの物語は、ドストエフスキーの作品のように人間の複雑きわまりない
内面をとことんさらえているような作品ではないけれども、一般の人間が普通に
感じる心の動きだとか行動というものは、驚くほど精密に描写されていて破綻
がない。
誠に驚くべき洞察力、と言うべきであろう。

ブッデンブローク家の人びと〈中〉 (岩波文庫)

ブッデンブローク家の人びと〈中〉 (岩波文庫)

ブッデンブローク家の人びと 下 (岩波文庫 赤 433-3)

ブッデンブローク家の人びと 下 (岩波文庫 赤 433-3)