最近読んだ本
リアル世界での仕事が脳に占める割合が大きくなればなるほど、このブログを含む
ネット世界から自分の距離が遠くなってきつつあるように感じる。
本は日々やたらと沢山読んではいるのだけれども、ここに書きたいこともなかなか
思いつかず、といった状況。
しかしながらネットとリアルの比重という意味では今後状況次第で変わることも
あるし、そのうち書きたいと思うことも出てくるのだろう、と思っている次第。
そういう状況なので、今日は最近読んだ本からの雑感を少々書くことにする。
西郷南洲遺訓
西郷隆盛が残した言葉だが、素晴らしい言葉が多く感動した次第。
僕が特に気に入ったものとして、遺訓第五条に記された七言絶句がある。
『幾歴辛酸志始堅
丈夫玉砕愧甎全
一家遺事人知否
不為児孫買美田』
(何度も何度も辛い事や苦しい事にあった後、志というものは始めて固く
定まるものである。志を持った真の男子は玉となって砕けるとも、
志をすてて瓦のようになって長生きすることを恥とせよ。
自分は我家に残しておくべき訓があるが、人はそれを知っているであろうか。
それは子孫の為に良い田を買わない、すなわち財産を残さないという事だ。)
特に
『幾たびか辛酸を歴て、志、始めて堅し』
この言葉は座右の銘にしたい言葉だと思った。
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風の果て(藤沢周平著)
藤沢周平の小説は「蝉しぐれ」について去年の4月に書いたが、今回の「風の果て」
はまた趣の違う小説である。身分の低い下士出身の主人公の桑山又左衛門が主席家老
にまで出世するのだが、その過程でも青年時代のように純粋でまっすぐであろうと
しながらも、役目柄避けられない政争や陰謀の中で又左衛門は少しずつ変わってゆく。
又左衛門が、青年時代の友である市之丞からの果たし合いの申し込みを受けた時に、
自分でその変節と自らの心の奥にうごめく権勢欲に気づくシーンがある。
【引用始まり】 ---
又左衛門は、地位を利用して金をあつめようとは思わなかった。また権力を
ふりかざして、ひとを圧迫しようと考えたこともなかった。長い郷方勤めの間
に身についた倫理感覚は、いまも堅苦しく又左衛門を縛っている。
あとに残るのは、藩政の中枢にいてひとにあがめられるというぐらいのことだ
った。だが残るそれだけのことが、白状すれば言いようもなく快いことだった
のである。
− 多分、それは・・・、
と又左衛門は、かつて考えたことがある。富をむさぼらず権力をひけらかしも
しないが、それは又左衛門がやらないというだけで、出来ないのではなかった。
行使を留保しているだけで、手の中にいつでも使えるその力をにぎっていると
いう意識が、この不思議な満足感をもたらすのだ、と。
【引用終わり】 ---
これは、人の権力欲についての非常に深く鋭い洞察だと感じる。
一方で藤沢周平の冷静な目は又左衛門が己を誤魔化す部分も描き出す。
【引用始まり】 ---
(又左衛門は)果たし合いに応じる、ということである。ただし、命までやる
つもりはなかった。市之丞との果たし合いの成り行きがどういうものになるか
は、予測のほかだったが、あぶなくなっったらすぐに藤蔵を呼ぼうと思っていた。
− 市之丞には気の毒だが・・・。
おれは藩政を預かる家老だ。私闘で命をやりとりすることは許されておらぬ、
と思いながら、又左衛門は日が傾いてきた町をいそぎ足に南に歩いて行った。
又左衛門のその考え方の中には、自己の本心に対するいつわりがあり、
にごった権力者のおごりさえまじっていたが、又左衛門は気づかないふりを
している。
ほかに市之丞の挑戦に応じて、しかも執政の地位を失わずにすむようなつごう
のいい理屈が見出せない以上、いつわりの理由に身をまかせるしかなかった。
【引用終わり】 ---
僕も「いつわりの理由に身を任せて、自分の本心に気づかないふりをする」ことは
よくあるから、胸を射抜かれたような思いを持った。
「蝉しぐれ」よりもずっと優れた小説だと思う。
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蹴球日記(岡田武史著)
脳溢血によってサッカー日本代表監督から退任したオシム氏の後を急遽引き継ぐ
ことになった岡田武史氏の著書。主として2002年の日韓ワールドカップの試合を
見ての感想をまとめたものであるが、岡田氏のサッカー観や組織観、人生観と
いったものがかいま見れて面白かった。
面白かった部分を若干抜き書きする。
【引用始まり】 ---
私が3年間コンサドーレ札幌の監督をした後、辞めようと決意した理由の一つ
は、選手も監督も変わらず、目標もだいたい同じ、戦術も同じで、要するにマン
ネリに陥っていて、これ以上続けることがとても難しいと感じたからである。
【引用終わり】 ---
【引用始まり】 ---
マスコミは、すぐ「管理主義ですか、それとも放任主義ですか?」「若手を育
てるタイプですか、よい選手を集めて勝ちにいくタイプですか?」と右か左か
というきき方をする。
その方がわかりやすいからだろうが、ある程度管理して、ある程度放任する
し、若手を育てようとしながらも、足らないところは補強して勝ちにいくと
いうのが普通だと思う
【引用終わり】 ---
【引用始まり】 ---
今までサッカー以外も含めていろいろな指導者を見ていて、どうせ考えても
結論は出ないのだからと考えることをせず、最初から感覚的に「エイヤー
(と決める)」をする一見豪快に見える人、考えて考えて悩んでなかなか
「エイヤー」できない人、どちらも長い目では成功していないように思う。
逆に、名将と呼ばれている人は、小心者とまでは言わないが、心配して
最悪の場合を考えに考え、最後に開き直れる人のようだ。
【引用終わり】 ---
【引用始まり】 ---
(監督が選手と共に苦しみを乗り越え成長させようとするのではなく)その
選手の現状の力を利用するだけで、それ以上は期待しない。彼の選手として
のレベルは頭打ちになるかもしれないけれど仕方ない。
以前は、これは指導者としてずるいことで、やってはいけないことと考え
ていた。ところが、ずるく利用するほうが、結果的に選手は伸びた。使って
いるうちに苦手だったディフェンスが自然とできるようになったり、ちょっと
したアドバイスやきっかけで欠点が修正されるのである。
【引用終わり】 ---