風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

八月のクリスマス 〜 ”二階”の恋の物語

三月に亡くなった友人が「良い映画だった。ぜひ見て下さい」と言っていた
韓国映画
先日DVDを購入して、とうとう見ることができた。
そして、彼がこの映画が気に入った理由もよくわかった。

【引用始まり】 ---
小さな写真店の店主ジョンウォン(ハン・ソッキュ)は30代前半の冴えない青年。
たまたま写真の現像の依頼に来た婦人警官のタリム(シム・ウナ)と知り合う。
純粋で素直な二人は少しずつ心を通わせるが、実はジョンウォンは死の病に
冒されていて余命いくばくもなかった。
ある日、ジョンウォンが倒れ写真店の扉は閉じられたままになる。
病床のジョンウォンに妹が「誰か、入院したことを知らせたい人は?」と聞くが
「誰もいない」と答える。事情も知らされずいきなり置き去りにされたタリムは、
何日も店の前に佇み、悲しさのあまり荒れて写真店のガラスを石で割るのだが、
転勤が決まり手紙を一通、写真店のドアに挟んで去る。
退院したジョンウォンはタリムの手紙を読み、警察署に行ってタリムを探す。
そして路上で駐車違反の切符を切っているタリムを見つけるのだが、喫茶店
ガラス窓越しにタリムの姿を追うだけで、声もかけず去ってしまう。
クリスマスの数日前、ジョンウォンは心の中を綴った手紙を書くが、それは
投函されることなく箱に収められ死を迎えてしまう。
タリムは何もしらず、ある日写真館を再訪するのだが、ショーウィンドーに
自分の写真が飾っているのを見て、そっと微笑んで去っていく。
【引用終わり】 ---

この映画を見終わった時、とても暖かくそしてやるせなく切ない気持ちで一杯に
なった。そして同時にこうも思った。
「この恋は”二階の恋”だなぁ」と。

勢古浩爾が以前こんなことを書いていた(「自分の力を信じる思想」より)。
人は誰でも二階建ての家に住んでいて、人生を生きる中で”一階”と”二階”を
行ったり来たりしている、というのだ。”二階”にあるのはこういうものだ。

国家、抽象、理念、知識、古典音楽、絵画、本、無用、理屈、リアリティがない、学問

そして”一階”にはこういうものがある、という。

生活、感情、低俗、知恵、流行音楽、漫画、有用、実感、リアル、世間

人は普段、”一階”で日常生活をし、愚痴をこぼし、食事をし、噂話をし、金儲け
を考える。しかし人は時々”二階”に上がって行き、本を読み、政治を語り、
社会を憂い、理念について議論する。
普通の人が日々の現実を生きるのは”一階”なのだが、”一階”だけの生活に
飽きたらず時々上がるのが”二階”。しかし、人は”二階”だけでは生きられない
のでいずれ”一階”に降りる。
このたとえはなかなか面白いと思う。

僕は恋愛にもまた”一階”と”二階”があると考えている。
恋愛とは元来特別な「非日常」のものだけれど、特にジョンウォンとタリムの
場合、ジョンウォンの死病という「どうしようもない日常」が介在しないのだ。
(それはジョンウォンが知らせまいと望むからであることは言うまでもない)
それ故に彼らの恋は現実の大きな問題を含まないまま、いわば、儚い「夢物語」
として始まり、そして終わった。

一般に恋は”二階”で精神的に始まり(中には”一階”で始まり”一階”だけで
終わる恋もあるとは思うが ^^;)だんだん”一階”がそれに関与するようになる。
夢見るようにお互いに夢中になった二人でも、では一緒に住むのか、とか、結婚
もいずれ、とか考え出したとたんに”一階”の住人に戻らざるを得ないのだ。
中には”一階”に横たわる障害ゆえに「二人だけの世界」を夢見て”二階”に
駆け上がり、逃避行に走ったりする男女もいる。
しかし、駆け落ちしたところで、いずれその二人にはまた”一階”の生活が
いずれ始まるのだ ^^;
こうやって人は恋においても”一階”と”二階”を行き来せざるを得ない。

この恐ろしく寡黙な映画で描かれたタリムとジョンウォンの恋は、一見、日常
から全く逸脱していない
”一階の恋”に見えるけれど、よく考えると”二階の恋”なのだ。
ジョンウォンはタリムの、タリムはジョンウォンの電話番号も知らず、住んで
いる場所も知らない。そしてジョンウォンの死に至る病は最後までタリムには
伏せられたままだ。このように二人の恋は徹底的に「日常」を排除していた
(同時に男女関係の生臭さも!)。
結果的に、この物語は恐ろしく夢想的でプラトニックな純愛物語になっている。

「なんだ、そんなもの、恋に値するのか」という人もいるのかもしれない。
しかし彼らの恋は、文句なく美しい。
己れの全存在をぶつけ合い、一階で取っ組み合いをするのも「真実の恋」だろ
うが、精神性の上澄みのような彼らの淡く美しく儚い繋がりも、また恋の一つ
のありようなのだ。

僕にこの映画を薦めた亡き友人は、恋愛においても「精神性」をとても大切に
する人だった。病身の彼がジョンウォンに己の姿を投影していたことはもちろん
だけれども、それ以上に彼がこの物語の美しさと儚さに惹かれた気持ちが、
僕には痛いほどわかる。

# この映画、今、日本でリメイクされたものをやっていますね ^^
  こちらのほうは未見です。

八月のクリスマス [DVD]

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