ケータイが嫌いだ!
携帯電話が嫌いだ。
嫌で嫌で仕方ない、といってもいい。
どうして?
答えは簡単だ。
僕にとって「いいこと」を運んでこないから。
携帯電話は時と場所を選ばない。
以前は移動の電車の中はのんびりできる一息つける場所だった。
あるいは外出中の喫茶店だってそう。
誰も連絡は入れられない、ほっとできる場所。
今は違う。
休日でも、夜でも、移動中でも、必ず携帯電話を鳴らされる。
それに加えて忌々しいメール!
年がら年じゅう仕事と職場に縛られている
ほとほと、嫌だ。
この世界から携帯電話が消えたらいいのに、と思う。
携帯電話が好きで大事で面白くて、という人はきっと携帯をプライベートで
使っている人だろう。携帯電話は友達や恋人の声を、仲間との親密なコミュ
ニケーションを強化する「良い楽しいツール」なのだろう。
ほんとうに羨ましい次第だ。
しかし、森真一氏の「日本はなぜ諍いの多い国になったのか」には面白い仮説
が書いてある。この本の第3章は「ケータイが仲間関係を不安定にするわけ」
というタイトルになっているのだが、なかなか鋭いところをついているのだ。
森氏によれば、ケータイによるコミュニケーションには、極個人的であるが故に
お互いに秘密を打ち明けやすく親密になりやすい効果がある反面「秘密作用」と
「裏切り作用」もある、という。
「秘密作用」とは
1)相手が『誰と』関係を持っているかについて秘密を感じさせる。
2)相手が私以外の人と『どのような関係』を持っているのかについて秘密を
感じさせる。
3)相手が本当のところ『どこに』いるのかについて秘密を感じさせる。
というふうに、お互いが相手に隠し事をしているかのように感じさせることで、
人を疑り深くさせる作用があるという。
また「裏切り作用」とは
1)ケータイを持つことは「いつでもどこでもつながることができる」ことを
意味するが、それは「仲間に選んで貰える準備ができている」ことも意味
する。それ故に「自分は仲間に選んで貰えないのではないか」とか「仲間
から声がかからないのでは?」という不安も助長させる。
2)ケータイで電話をかけても相手が出ないとき「わざと出なかったのでは?」
という不安を感じさせる。これは「私の電話よりも『大切なこと』を相手
が持っているのでは?」という疑いを増幅させる
というものだ。
【引用始まり】 ---
これらの作用によって、ケータイ族は他者を疑いやすく、簡単には信頼しない
ようになっているのです。しかし、ケータイには、面と向かっていえないこと
がいえるようになるという親密さの作用もあります。
トータルで考えると、ケータイは、仲間同士のあいだの距離を縮めると同時に
距離をつくり出している、ということになります。結合と分離というこの矛盾
した作用が仲間うちの関係を不安定にしているのです。
不安定さを解消する方法のひとつが、仲間うちでいる時には仲間外の人びとへ
関心を向けないように努力すること、仲間うちに関心を集中させることです。
それが「思いやりの落差(私注:仲間うちでは過剰に気を使いあうのに、
仲間外の人間には極端に極端に気遣いをしなくなる状況)を拡大する結果に
なっている、というのが私の仮説です。
【引用終わり】 ---
この仮説が正しいかどうかは留保したいが、ケータイのコミュニケーションに
潜む不安と不安定さの一面を言い当てていることは間違いないと思う。
若い人達は携帯でコミュニケーションを楽しんでいるように思っていたけれど、
それなりの不安もあるわけですね。仕事ではそういう面は気を使わないから
かえって楽なのかもしれないな。
で、僕の結論。
とにかく、携帯電話は嫌いだ!
日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
- 作者: 森真一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/07/11
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