風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

佐藤優「獄中記」

自分のことは自分が一番知らなかったりするものだが、僕は多分人間の理性を
最後の部分で信じていて(啓蒙主義者的な要素がある)かつキリスト者ではない
のにプロテスタンティズム(もっと言えばカルヴァン派の職業観・倫理観)に
惹かれる「体質」を持っている。
その結果として、政治的にはリベラルな立場により共感的であるし、哲学的
にはドイツ観念論からフランクフルト学派あたりに親近感を持って不思議はない
だろう。昔、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義
の精神」を読んだとき、砂地に水がしみ込むように感じたのも自分のその体質故
だろうと思う。

自分自身についての「メタ認知」を持つことは生きる上で決定的に重要だ。
「自分と世界、そしてその関わりを観る自分の立ち位置を認識しておく」と言い
換えてもいい。
自分は本質的に啓蒙主義者なのか?ロマン主義者なのか?ニヒリストなのか?
なにもレッテルを貼ったり看板を上げたりする必要はないが、自らの精神の立ち
位置を知り、意識的にせよ無意識的にせよ自分が依拠しているものを自覚する
だけで人生での困難への対峙の仕方も、心のブレ方も、情緒の安定も決定的に違う。
それを改めて再認識させられた本がこの「獄中記」だった。
佐藤優と言えば鈴木宗男事件で「外務省のラスプーチン」と呼ばれ極悪人のレッ
テルを張られた人物である(ごく最近、一審で有罪判決が出た)。
この人は512日間東京拘置所で勾留されていたのだが、この間に書き留めた
大量のノートを圧縮した500ページを超す大著がこの本である。

彼は獄中で何をしていたのだろうか?
主として読書、である。
では、どんな本を読んでいたのか?
彼は、ヘーゲルを、カール・バルトを、ヴィトゲンシュタインを、ハーバーマスを、
ミシェル・フーコーを読む。彼は思想書を趣味で読むのでもなく、時間つぶしに
読むのでもなく、逃避のために読むのでもない。
監獄という厳しい場に置かれた自分と周囲の状況を冷静にメタ認知することで
自分の人格の崩壊を避け、さらには法廷闘争をどのように進めるべきかについて、
鳥瞰的かつ歴史的な立場から状況への考察を深めるために読むのだ。

この本には彼が獄中で読んだ本についての感想や考察が沢山挙げられているの
だが、その内容は恐ろしく広くて深い(インパクトのある部分があまりに多す
ぎて引用できないのが残念だ)。そのくせ文章はとても読みやすく面白い。
恐るべき知性、とはこういう人のことを言うのだろう。
1月に買って大きな衝撃を受け、今また再読中なのだが、まだまだ何度も読み
返すことになると思う。

ところで先日、柄谷行人が新聞にこの本の書評を書いていた。
柄谷行人をして『どんな知識人のノートにも見いだせない類の、驚嘆すべき知性』
と書かせたのだからこれは最上級の賞賛といっていいのだろうけれど、ただ柄谷
がこう書くとき、僕はいささかの違和感を覚える。

【引用始まり】 ---
だが、著者の場合、通常なら矛盾するようなことが、平然と共存するのだ。
たとえば、著者は「絶対的なものはある、ただしそれは複数ある」という。
そこで、日本国家と、キリスト教と、マルクスとがそれぞれ絶対的なものと
してありつつ、並列できるのである。
【引用終わり】 ---

なるほど、学者としての立場ならば違和感を抱いても当然かもしれないが
一般人にとっては、「知」は現世を生きるための「ツール」なのだ。
佐藤の使う「絶対的」は学問の世界での「絶対的」とは意味が違う。
(それにマルクスは佐藤にとって絶対的な存在ではない)
その点は柄谷はピントがズレているなぁと感じた。

実人生につながる思想、哲学、神学のあり方、使い方に興味がある人はぜひ
ご一読下さい。
強くお勧めしておきます。

獄中記 (岩波現代文庫)

獄中記 (岩波現代文庫)