風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

パドメの死

スター・ウォーズ エピソード3」を見てきました。
特殊撮影は、これはもう凄いもので、これ以上進化することは考えられない、という
レベルでした。そんな中で少し面白いテーマがあったので取り上げてみます。

主人公のアナキンは愛するパドメが出産中に死ぬ悪夢を見て不安になり、師・ヨーダ
相談にゆく。愛する者の死をなんとか阻止したい、と言うアナキンをヨーダは「死は生
の一部だ。受け入れなくてはならない」と諫めるが、あきらめきれないアナキンは
パルパティーンに「ダークサイドの力を手にいれれば死もコントロールできる」と
ほのめかされ、悪の道に入ってしまう。
それを知ったパドメは「あなたは私の愛していた人ではない」と絶望し生きる意欲を
失って死んでしまう。
パドメの死を知ったアナキンは絶望し絶叫する。

ヨーダの「死は生の一部だ。受け入れなければならない」という諫めの言葉はいかにも
東洋的・仏教的だ。それに対して死をもコントロールできる、とささやくパルパティーン
の言葉は西欧的科学技術至上主義を代表しているように思える。「ダークサイドの力」は
実は生命倫理をも無視しようとする現代医療技術に代表される西欧的な科学技術(それは
人間のけた外れの「欲望」を無限に現実化する。”特撮”だってそうだ!)を揶揄して
いるかのようだ。

アナキンの「裏切り」にはもう一つの意味がある。
アナキンは平和と民主主義のために戦う騎士(ジェダイ)だったのにもかかわらず、
パドメを救いたいという我欲に目がくらみ帝国主義独裁者パルパティーンの手先と
なって、仲間も修行中の子供すら虐殺する殺人鬼になり果てる。
パドメはアナキンの変節を悲しみ絶望するが、一人の人間としてあくまで自らの主義
主張(反帝国主義)を捨てなかった。「あなたがどちらの側であろうと愛しているから
私はついてゆくわ」とはパドメは言わなかったのだ。(アナキンとパドメの『個の
人間としての強さ』の差がはっきり描写されていて面白い)

アナキンはパドメを救うため、つまり「愛」のために「信念」を捨てた。
パドメはアナキンを愛していたが「愛」のためでも「信念」は曲げなかった。
だからパドメは最後にアナキンと決別し、絶望して死んでゆくのだ。

「愛する者の死を避けることはできない。何もかもを手に入れようという貪欲さを捨て、
受け入れるべきことは受け入れよ」
「愛は全てではない。愛よりも大切なものがある」
そんなメッセージをこの映画から聞いた気がしました。