風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

トルストイ「イワン・イリッチの死」

久しぶりに衝撃的な小説を読んだ。
トルストイの「イワン・イリッチの死」である。

主人公のイワン・イリッチは裁判官。持ち前の頭脳と如才なさで
とんとんと出世を遂げた人物で、結婚生活はうまく行っていない
ものの(イワン・イリッチは口うるさい妻から逃げるようにさら
に仕事(というよりも僕が見るところ出世)に没頭していた。)
出世運動も実り、それなりの豪邸を建て、仕事では自分の判断で
人の人生を左右できるという万能感を密かに感じつつ送っていた
(凡庸かつ俗物的に描かれているが)順風満帆な彼の人生に、
いきなり病という不条理で不可解な事象が降りかかる。

イワン・イリッチは医者を変え、手を尽くすが病気はよくならず
どんどん死に向かってゆく。この間の彼の内面の苦しみの心理描写
は徹底しており、微に入り、細に入り、実にすごいものがある。
トルストイ、すごい!と改めて思った。
病に苦しむ人間、死に向かう人間の徹底的な人間の孤独と苦しみ
そして恐怖をこれほど的確かつ微細に表現した作品がかつてあった
だろうか?そして対比して描かれる「他人たち」の「自分以外の
人間の病の苦しみと死」に対する冷淡さと無関心さ。
これはリアリズムの極致ではないだろうか。

小説ではイワン・イリッチは数ヶ月、激痛と心の苦しみにのたうち
回ったあげく、最後の瞬間に「自分が死ぬことでそれに耐えている
家族の苦しみを終わらせることができる」という悟りにいたって
その瞬間、死の恐怖や苦痛から解放されて彼はこの世を去る。
彼を最後の最後に救ったのは「自分の孤独・苦しみ・人生・恐怖
を頭で考え詰めること」ではなく「他者への愛、献身」だったのだ。
アポロン的なものに対するデュオニソス的なものの勝利とも言える
だろうし、陳腐な表現かもしれないが「愛は全てを超越する」と
言うこともできるのだろう。

最後に一言。
この小説は読み手を選ぶ、と思う。
あくまで他人事として読むか、自分がイワン・イリッチだ、と思って
読むか。これによって読後感の重さは相当違うはずだ。
僕は「僕はイワン・イリッチなのだ」と思って読んだ。
いや、そうとしか読めなかったのだ。