高野の旅(雑感)
高野山へ行ってきました。
とても良い旅でした。
写真を沢山撮ったので、こちらではなくPhoto Albumにて何日にもわけて少しずつ
アップしてゆきたいと思います。
ここでは雑感を少々。
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標高1000mの高野山上は下界とは別世界で、涼しく風も爽やかだった。
お盆の余波もあるのでしょうが、行きのバス、ケーブルカーは満員すし詰め状態で、
この様子ではさぞ山上も雑踏の人混みだろう、と危惧していたのだが、あにはからんや、
山上はとても静かだった。
高野山上は広く多くの仏閣がある。
一カ所見るだけで時間はすぐ経ってしまって、ゆっくり見てまわることができなかった
のが残念だった。特に重要文化財などの文化遺産を納めた霊宝館や大門を訪れることが
できなかったこと、縁側に腰掛けて仏閣や庭をゆっくりぼんやり眺める余裕がなかった
ことは心残りだった。
古い仏閣を見て思うのは、フォルム、色彩が実に美しいということ。
もちろん、今の時代のコマーシャルベースで作られる建物とこれらの建築物を同じ土俵
でうんぬんすることはフェアではない。求められる機能、前提条件も全く違っている。
しかし、美しいものはやはり美しいのだ。
それは残酷なほどはっきり現れており、僕はそう感じてしまう。
考えてみるとおかしな話だ。
つい最近まで、僕はこういう場所に関心はさしてなかった。
カメラを持つことで目の感知能力、解像度が上がったように思う。
いや、目だけではない。
僕自身の五感の、いや、心の感度が高まっているようだ。
苔むした古い石灯籠のフォルム
檜皮葺きの屋根の深緑から褐色への微妙なグラデーション
一条の光が木立に射し込む瞬間の劇的なコントラストの変化
草花や雨、風が運んでくる大気の香り
今は、すべてがとても魅力的に感じられる。
またここに来ればよいのだ、きっとまた来よう、と思い直す。
秋ならば、壇上伽藍への小径の紅葉がきっと色づいているだろう。
冬ならば、金剛峯寺の鐘楼はうっすらと雪化粧しているだろう。
春ならば、山門脇の新緑がまぶしいことだろう。
訪れるたびに、ここは僕に何かを語りかけてくれるはずだ。
# 今回は気の置けない友人と一緒でした。
一人旅とは違って、こういう旅も良いものです。