風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

タルホ・コスモロジー

稲垣足穂という作家は、最近あまり話題に上らないのでしょうか。
僕はこの人の「一千一秒物語」が好きなのです。
ショート・ショートの元祖、のように言われていますが、文体と題材が醸し出す雰囲気が
レトロな昭和初期のモダンな世界を彷彿とさせるのです。
短いので二話、ご紹介しましょう ^^

月から出た人

夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると、時計のネジがとける音が
して向こうからキネオラマの大きなお月様が昇り出した
地から一メートル離れた所にとまると その中からオペラハットをかむった人が
出てきて ひらりと飛び下りた
オヤ!と見ているうちに タバコに火をつけて そのまま並木道を進んで行く
ついてゆくと 路上に落ちている木々の影がたいそう面白い形をしていた 
そのほうに気を取られたすきに すぐ先を歩いていた人がなくなった 
耳をすましたが 靴音らしいものはいっこうに聞えなかった 
元の場所へ引きかえしてくると お月様もいつのまにか空高く登って静かな
夜風に風車がハタハタと廻っていた

星を食べた話

ある晩露台に白っぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシューム
みたいな味がした
何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落とされた 
とたん 口から星のようなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへ見えなく
なってしまった
自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた

と、こんなふうな短い話が沢山集められているのです。
レトロで、スタイリッシュで、短いけれどもなんとも言えない味があります。
テンもマルも使わない独特の文体で一枚の絵にできそうですね。
それから僕が高校時代に読んですっかり参ってしまったのは砂漠のお伽噺ともいえる
「黄漠奇聞」でした。
その一節を抜き書きします。

赤い太陽が砂から昇って、又砂の中へ赤く沈む。
風が砂の小山を造っては、又それを平らかにして過ぎ去る。
それは遠い世界の涯から持って来た多くのことをささやくが、人間には判らない
言葉である。そこには只死んだような無言の寂寞がひとりで君臨している。
バブルクンドの都というのは、ちょうどこんな砂漠のまんなかに在った。
神々の都であるサアダスリオンを模して建設されたというこの都は、蜘蛛の巣の
形に王宮を取り巻いた、整然とした六角形の道路から出来上がっていて、しかも
それらのすべては、その中央に槍の穂先のような尖塔を立てつらねた王宮は勿論
の事、バビロンの幾何文様を見るように、出来るだけ多くの直線を用い、その美を
発揮するように設計された家屋から、街路の敷石から、これらの広い都を一帯に
ぐるっと輪に囲んだ高い城壁に至るまで、目も眩ゆい純白の大理石を以て造られていた。
(中略)
砂の果に落ちる入日が、街中を燃え立つような紅に染めて、紫色の夜の幕が静かに
落ちて来ると、家々の窓からは、花のような燈影が匂いこぼれる。
灯は夾竹桃を照らし水盆に映じて、ここに又一しおの情趣をそえる。
人々はそのまわりに集って、カルタを取ったり、香ばしいバッシの酒を飲んだり、
賑やかな六弦琴を奏いたりして、半夜すぎるまでも笑いさざめく。

稲垣足穂には独特の小宇宙があります。
小川未明江戸川乱歩などと同じく、文章そのものから雰囲気が立ちのぼってきて、
読者を彼独特の世界に力業で引き込む力を持った作家だと思います。

一千一秒物語 (新潮文庫)

一千一秒物語 (新潮文庫)