風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

一人旅

最近、日本のあちこちに出かけてみたいな、と思うようになった。
地方の小都市とかそういうところです。

僕の仕事は出張が比較的多いので、日本中、結構あちこちに行っている。
北陸方面の深い雪景色や九州の明るい陽光、瀬戸内海の穏やかな海など、印象に
残っている風景は種々ある。それでも仕事で行くとなるとゆっくりした時間はないし、
まずもって気持ちにもそれほどゆとりがなかった。

最近行ったところでは長崎がとてもよかった。
地元の会社の人との打ち合わせが終わった後、飛行機の待ち時間でグラバー邸とか
大浦天主堂などを廻ったのだけれど日差しの暖かさといい、町のたたずまいといい、
海も山もある風景といい、とても気に入った。
いずれゆっくりと時間を過ごしに再訪したいと思って帰った。

僕の奥さんも仕事をしていてなかなか忙しく、時間が合わない。
今年は一度はどこかに行くつもりではあるけれど、それ以上奥さんにつきあって
貰うのは難しそうだ。
そうなると一人旅でもするか、ということになる。
しかし、実のところ、僕は一人旅が苦手だった。
昔から出張でさんざん一人旅を(強制的に)してきたからかもしれないけれど、
一人で過ごす時間をいつも持て余してしまう。最近少しそれが改善(?)されて
一人でも時間を過ごせるようになってきた。ぼんやり人や町並みを眺めたり、
お店を冷やかしたり、そういうことを楽しめるようになりつつある。

何が変わった、と言うと気持ちにゆとりをもてるようになったことだと思います。
仕事や生活は決してゆとりが増えたわけではなく、むしろ困難な状況に陥りつつ
あったり、ひどく心を痛めていることがあるにもかかわらず、そういう状況とは
別にこころの中のゆとりの量は明らかに増えている実感があります。

苦しみや哀しみや辛さは、誰にでも等しくあるものでしょう。
しかし哀しみや苦しみにも種類があって、今、僕が引き受けている哀しみや苦しみ
は『まっとうなもの』だという実感がある。

まっとうな哀しみは、透明です。
耐える意味が哀しみの向こう側に透けて見える。
それだけが救いで、だからこそ心に少しゆとりがあるように思うのです。

僕も、少しは成長しているのでしょうか。