嘘は罪?
昔からの読者の方はこの題名、ご記憶があるかもしれません。
旧日記において、この題名の記事で僕はこのように書きました。
「正直」は人間の基本だ。だから子供には「正直の大切さ」を教える。
この基本ができない人間はオトナになってはいけない。
当たり前のことだ。しかし、オトナの社会は断じて基本だけで解ける世界ではない。
「正しいオトナ」とは「嘘の使い方をわきまえている人」のことだ。
それを間違ってはいけない。正しいオトナは「自分以外への状況に
対する被害」を最小限にするためは、たとえ辛くても嘘をつく。
その判断は、臨機応変、だ。
つまり応用問題なのだ。
この記事を書いた時、僕はまだ「深い霧の中」にいた、と思う。
だから今読むと、ずいぶんと変なことを書いたものだと正直思います。
まぁもう消してしまった日記の記事だからいいようなものだけれど。そんなもやもやした
思いをずっと胸に持っていたところ、先日Natさんのブログの記事「ウソは罪???」を読んで、
ああ、そうだ、そういうことなのだ、と思ったので引用させて頂きます。
でも、絶対バレないと思われるウソでも、誰かが、僕を信じてくれていて、
それで僕が僕の勝手な都合で、僕の自己中でついたウソでも、相手が信じて
くれたら、心の中でその人の信頼を裏切っているんだよね。
これはちょっと罪かも。
でも、その人を愛する余り敢えてつくしかないウソってあるかも。となると、
ポイントは結局ウソの動機じゃないかしら?自分のためのウソか、その相手
の人のためかーー。
でも、人間、大概自分のためだよ。だから、ほとんどの場合、ウソは罪。
そうなのですね。自分が誰かにウソをついているとき、自分を守るためのウソかどうかが
判断の重要なチェックポイントなのだ、と改めて納得しました。
確かにNatさんが喝破された通り、ほとんどの場合『他人の為』と言い訳をしていても
よくよくきちんと考えたら実は『自分の為』ですね。
だからやっぱり、ウソは罪、です。
僕は、間違っていました。