風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

モディリアーニ展雑感

国立国際美術館で開催されているモディリアーニ展を見に行ってきた。
モディリアーニという画家について、僕はほとんど予備知識がなく「首の長い女
の人の絵を描いた人」程度の認識しかない。だからこそ、これは初めてその絵を
じっくり見る、ということでとても楽しみでもある。

今回の展覧会には見たことのある多くの絵とともにスケッチや初期の作品群も年代
に沿って並べられている。
これがとても面白かった。
モディリアーニは1912年頃から偏執的にカリアティッドというモチーフを繰り返し
描いている。カリアティッドとはギリシャ建築の柱を支える女性柱像なのだけれど、
モディリアーニの描くカリアティッドはギリシア的というよりもアフリカ的、アジア
的であり女性の豊穣さと原始の力強さに満ちている。しっかり張った太もも、二の腕、
胸、腰、そのどれを取ってもヒンズー教の寺院の彫刻がモチーフ、と聞いても納得
しそうなほど。
そんなプリミティズム溢れた習作の中に、モディリアーニが描く女性の独特の目の形、
顔の形、首の形が既に息づいている。
なるほど、と思う。
画家の歴史を追って見ることの楽しさと面白さ!

それから、モディリアーニの絵をじっくり眺めていると色遣いが汚いのに驚く。
どの色も濁っていて、彩度も明度も低いのだ。
しかし、沈んだ背景の扉や壁や窓をよく見ると、その部分が執拗に厚塗りされている
ことに気づく。どの画家の絵もそうなのだろうが、一見何の変哲もない背景からも
「この彩度で、この明度で、この濁り具合で、この汚さでないといけない」
という画家の主張が聞こえてくる。
そんな中で僕の目をひいたのは「クララ」という1915年頃の女性像。
よく見るとこの絵は相当変なのだ。
右目は黒く塗りつぶされているし、肌色だって汚いし、背景だって汚い相当に変な絵。
しかし、そんな色で塗られているこの女性の気高く美しいこと!
どうしてこういうことがあり得るのだろうか?。
ここには後期のモディリアーニから匂ってくるセンスや、モダンなおしゃれ感
もないが故に、余計に不思議な印象を受けた。
どうも僕にはモディリアーニの絵からはセザンヌと同じ匂いがする気がする。
この二人の関係はどうなっているのだろうか?
何のつながりも関係もないのかもしれないけれど、自分の印象としてここに書き留めて
おくことにする。

さて国立国際美術館では同時に「塩田千春 精神の呼吸」という現代美術のイン
スタレーションの展示も行われていた。
これがまた、圧巻だった。
「DNAからの対話」という何千足という靴から赤い毛糸を展示室の一点に引っ張
って行ったインスタレーション。「眠りの間に」という大空間にベッドを多数置き、
その間と外側を無数の黒い毛糸を張り巡らせたインスタレーション
そして、身長10mの女性がいれば着るかもしれない巨大な恐ろしく汚れたドレス
を巨大なハンガーから吊りおろした「皮膚からの記憶」。
どれにも圧倒的なイメージで見る者に迫ってくる。
特に「眠りの間に」は悪夢的光景としか言いようがない。
外界の暑さをすっかり忘れてしまうような強烈なインスタレーションだった。