色褪せてゆく事々(ウィーンにて①)
海外出張中でウィーンで週末を過ごしている。
僕がウィーンに初めて訪れたのは確か1998年。取引先の人たちと同行で
一泊二日程度の駆け足で過ごしたのだが、その時「ああ、この街は素敵だ。
いつかきっとまた訪れよう」と痛切に思ったことを覚えている。
街の空気感、人々から受ける印象、それらがロンドンやパリといった都市
から匂ってこない中世のヨーロッパ都市の雰囲気が強烈だった。
そして16年の年月が経ち、僕はこの街に、もっとも再訪したかった街に
戻ってきた。それなのに気持ちはあまり浮き立たない。
率直にこう書くのはいささか辛いのだが、ウィーンは僕の前で色褪せて
見える。いやウィーンが変わったのではない、と思う。
僕が変わったのだ、恐らく。
思えばあれから僕は世界の多くの国を旅し、歳も重ねてきた。
それと同時にいろいろな経験をし、この世界そのものにも馴れてきた。
16年前の僕はまだ若く、初めて訪れた憧れのウィーンに夢中だったのだ。
思えばウィーンに限らず、いろいろな事柄に僕は慣れ、いろいろな
物事が色褪せて感じられるようになってきていないか?
稲垣足穂の『黄漠奇聞』を思い出した。
砂漠都市を栄えさせた蛮族の長が昔を思い出し、以前は安い酒でも満足
できたのに今の自分は上等の酒しか飲む気にならない。なぜだろう?
と自問自答する場面があったと記憶する。
たぶん、それと同じなのだろうな。
慣れてしまうこと、知ってしまうこと、そしてすり減ってしまうことは、
哀しいことだ。
来週末は久しぶりにロンドンで一日を過ごす。
こちらでは、僕はどう感じるのだろうか。