風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

The Remains Of The Day

英国人作家カズオ・イシグロの小説「日の名残り」が好きだ。
映画にもなっていて、主人公の執事スティーブンスをアンソニー・ホプキンス
、女中頭のミス・ケントンをエマ・トンプソンが見事に演じていた。
この小説では一度だって、好き、とか、愛してる、なんて言葉は出てこない。
ラブシーンも全くない。それでいてここで描かれているのは、切ない恋なのだ。

映画で印象に残っているシーンがある(小説ではそういうシーンはない)。
ティーブンスがお屋敷の使用人たち(つまり彼の部下、だね)と食事を
しながら、偉大な執事に絶対欠かせないものは何か、を語っているシーン。
彼はそれは「dignity」だと断言する(字幕ではどうなっていたか忘れた)
普通に訳すと「威厳」になってしまうけれど、小説ではこれを「品格」と
訳している。いい訳だと思う。

品格、品位にこだわるあまり、おのれのミス・ケントンへの思慕も、彼女
からの想いも握りつぶし、職務に全てを捧げるスティーブンス。しかし、
全てを捧げたお屋敷の主人は、皮肉にもナチスに協力した裏切り者として
社会から抹殺されてしまう。
いったい、彼の人生は何だったのか? 
それが、この小説の主題なのだ。
しかし、ここではその主題には触れない。

美は様式の瞬間的な破綻に宿る。そう思うことがある。
能にしても、歌舞伎にしても、あるいは音楽のソナタ形式にしても。
ある枠の中で、その枠を意識しながらも、どうしようもない何かがその枠
から外にほとばしってしまう瞬間。美はそこに生まれるのではないか?
ティーブンスが自分に課した「品格」の枠が、ミス・ケントンを前にして
わずかに揺らいだ瞬間のように。

ティーブンスの人生は世間から見れば無為だったのかもしれない。
しかし生涯をかけておのれの品位にこだわった彼の人生は、美しかった。
それは、破綻がなかったからではない。
ミス・ケントンを前にして揺らいだからこそ、美しかったのだ。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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