風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

W杯一次リーグ敗退を受けて

あまりに力の差がありすぎて呆然とするしかなかったブラジル戦。
それにしてもブラジル代表のサッカーは実に美しかった。
ボールは弾むもののはずなのに足元に吸い付く。
パスは相手に正確に収まりミスはまずない。
一人がボールを持つと周りの数人がすっすっと動いてパスコースを複数作る。
スペースに当たり前のように走り込む三人目の動き。
そして必ずゴールの枠に飛ぶシュート。
ああ、ジーコが日本代表にやらせたかったサッカーはこのような美しく楽しい
サッカーなのだろうな、と思った。

残念ながら今の日本の選手たちにはこんなスキルはないし、ここまでの判断力の
速さ、培われた戦術眼はない。
でも、こんなサッカーを10年、20年後に実現できたらいいな、と思う。
彼らのサッカーはまさに「サッカーの王道」だし、究極の目標だ。
98年のフランスワールドカップで三戦全敗した後に岡田監督は「あと2、30
年は日本のレベルでは”ごまかしながら”サッカーをするしかない」と言っていた
けれど、そういうことなのだろう。

サッカー協会の川淵氏は2〜30年後を見据えて、わざと本来目指すサッカーを
示すためにまだ無理とわかっていてジーコに代表を任せたのか??という考えが
頭をよぎる。「ゴマカシ」によって短期的な結果は出ても長期的な大目標には
近づかない、それよりは「王道」の上を歩きつついろいろな試行錯誤や経験を、
という「大局観に基づく遠大な大戦略」に基づく判断なのだろうか。

しかし、すぐにそれはおかしい、と気づく。
まず第一点。
もしそこまで、現在の人達(代表選手、サポーター、スタッフ)に犠牲を強いる
ならば(”未来のために今は勝つ確率は低くてもこのやり方でやってくれ”という
ことならば)選手やサポーターに対する説明責任があるはずだ。
そして大目標のために「今の勝利」を犠牲にすることを納得させて欲しい。
選手にはお前たちの代のキャリアは犠牲になると思うが、ということを。
そしてサポーターには勝てないかもしれないが辛抱して欲しい、ということを。

それから第二点。
”ゴマカシ(=戦術や相手の研究)”を知らなければ王道は知り得ないということ。
岡田監督の言う”ゴマカシ”にはいろいろなサッカーのノウハウが詰まっている。
それを知ってこそ選手は賢くなり戦術眼と判断力が磨かれる。
それらは自然に習得できるものではなく、「サッカー後進国」においてはサッカー
という文化の「常識」として監督によって指導されるべきものだ。

最後に第三点。
進歩には「勝つ」ことが絶対必要だ。
スポーツに限らず、勝つために絶対必要なものは自分たちへの信頼感、つまり
「自信」だ。
自信は勝つことによってしか育てることはできない。
もしも大目標のためためとはいえ、結果が出ずに負け続けたら選手達はどんなに
気をつけていても「負け犬のメンタリティー」になってしまう。
一旦「負け犬根性」が染みついてしまったら、容易に拭えない。

なので、僕としては次の代表監督は、今の日本の現実に基づいて組織や戦術、相手
の研究を怠らない、そして若手の育成に熱心な人を是非選んで欲しい。
そういう人は探せば必ずいる。
今、候補者にあがっているイビチャ・オシム氏などまさにその一人ではないか。
川淵氏は「ジーコの路線を継承して」と言っているようだが(その真意は不明だが)
とにかくただ放任するだけの監督はもう勘弁して欲しいと思う。

それから最後に、中田英寿選手について苦言を呈しておく。
なるほど、日本代表の選手の一人として最後まで全力で闘い、最後の最後まで力を
出し続けたのが中田であることは認めよう。
だが厳しい言い方をすれば、それは「仕事のプロ」として当たり前のことだ。
(もし、他の選手ができていなかったとしたら、それは彼らがプロとして最低線を
 クリアできていない、ということだ)
そしてさらに言えば、その「当たり前」は『平社員の当たり前』だ。
中田の年齢、キャリアからすれば今回のチームをまとめ一つにすることは中田が
当然のこととして『義務として引き受けやるべきこと』だと思う。
例えば会社であればある一定のキャリアと年齢に達していれば、チームで仕事を
している限り、たとえ役職についていなくても、そのチームの勝利のために果た
すべき責務があるのが当たり前だ。
それは「Noblesse oblige(高貴なる者の責務)」なのだ。

彼なりに同僚に厳しいことを言い、HPで意見を書いたりして彼なりに「努力」
はしていたのだろうが、残念ながらチームは一つになることは出来ず、本人も
孤立してしまい、そういう方面では彼は「結果」を出せなかった、と僕は感じて
いる。結果が問われるのは当たり前だが「試合の結果」だけじゃないのだ。

中田の言動を見ていると、正しいことを、厳しいことを、言い続けてさえいれば
周りはわかるべき、わからないのは相手の方が悪い、という甘ったれた考えがある
ように感じる。
そんなイージーなやり方で赤の他人を動かせると本当に思っているのだろうか?
いまどき、一般企業の若手主任クラスでもそんな甘い考えは持っていないだろう。
もういい年なのだから、自分の心理マネジメント能力なりコミュニケーション能力
なりを改善するように、猛反省の上で勉強を促したい。
当たり前のことだが、改善できるのは「他人」より先に「自分」なのだ。
中田英寿は素晴らしい「平社員」だが「主任」としては現時点では失格だと思う。