風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「意識はいつ生まれるのか」

ジュリオ・トノーニ「意識はいつ生まれるのか」読了。
この本は僕にとって本当に衝撃的、かつ、決定的な一冊だった。人間の意識が
いかにして生まれるか、を「統合情報理論」という仮説を元に実験を積み上げて
立証した過程を丁寧に読みやすく説明した本なのだけれど、全てが立証され検証
されたものではないにしても、多くの謎であった現象がこの理論で説明ができ、
かつ、有力な反証が上がっていない、という点で「統合情報理論」は物理学に
おける一般相対性理論に近い位置づけ、つまりは脳・意識科学の「一般理論」
と呼べる位置づけに至っていると理解できた。

この理論によれば「意識」は種々の情報(知覚、記憶、感情、行動等)を司る
大脳皮質のそれぞれの部位の神経細胞が一定以上の数になり、加えてそれらの
間に単なる直接的・直線的な形を超えた複雑な電気的・化学的接続数がある一定
レベルを超えれば発生するもの、とある。著者のトノーニ教授は意識の量を
この二つのパラメータの関数として表す数式も導いており、その結果を深い睡眠
時(=意識がない状態)の被験者や植物状態とみなされている被験者の脳に
外部から電磁的刺激を与えそれが脳の部位をどのように活性化させるかをモニタ
ーすることによって検証を重ねてきている。

詳しくはこの本を読めばわかるが、僕の理解では

1)死は神経細胞の活動停止をもたらすため、意識(自我)は消える。
2)人間に限らず、一定量の脳神経細胞からの信号が一定以上の複雑さを持って
  統合される場合、そこには意識が生まれる。(=高等哺乳類には原始的で
  あっても自我が存在するであろう)
3)同様に、コンピュータ上で神経細胞を模したものを、十分な数、十分に複雑に
  統合できるように設計すれば、そのコンピュータは意識を持つであろう。
ということになる。
極めてスリリングで刺激的な結論、と思う。

さて、僕が死ぬとき、脳は死の直前に脳辺縁系にプログラムされている通り
大量のセロトニンを放出して幸福感を伴った(臨死体験的によくある)夢を見
させる。その後、僕の脳神経細胞は活動を停止し、僕の自我(意識)は失われ
(それは深い睡眠と何ら変わりない)、最終的に死に至る。
「魂」はどうなるか、って?
「僕の魂」などというものはなく、自我が消えて全て終わる、以上。

なんとなく悲しい結末のようだけれど、僕はあまりがっかりしてない。
何故なら、人間を含む高等哺乳類は毎年何億も生まれている。そして赤ん坊の
うちには自我を持っていないものの、年月が経つにつれ、神経細胞の回路は
複雑さを増し、僕達自身がそうであったように「自我」が生まれる。
そして気づいた時には「自分の中に閉じ込められた意識」が生まれるのだ。
それは「彼(または彼女)」であって「この僕」ではない別の自我ではあっても
新たな意識の冒険が始まる。
僕自身が知らないうちに「自分の中に閉じ込められた意識」として生まれ育ち、
ここまで生きてきたように、新たな意識体験はそこら中で発生していて、それは
「この僕」でなくても(ひょっとしたら人工的な意識である可能性すらある)
「どこかの誰か」として生きてゆくことがあり得るのだ。
残念ながら前世の記憶は一切ないとしても。

思えば現代脳科学が導き出したこの結末は、仏教の輪廻転生に偶然にも似通って
いないだろうか?
僕はなんとなくこの結論に勇気づけられ、納得している。

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論