風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

まるで軍人のように

会社の歓送迎会。
転勤してきた人、新入社員、去っていく人たちのための会。
乾杯の音頭を取りながら、なんとも言いがたい思いが胸をよぎる。

思えば長い長い間、この世界で働いてきたなぁという思い。
自分が、本当にビジネスに向いている、商売が好き、金儲けをしたい、という
思いをただの一度も持つことができず、僕の母親や妹がしているような直接的
な社会貢献を行っていない「後ろめたさ」から逃れることができず(寄付を
続けることでその後ろめたさを誤魔化そうとしている)といって、今のこの会社
との紐帯を断ち切って未知の海に漕ぎ出す気力も根性も勇気も、そしてなにより
もそれに対する前のめりの期待感とワクワク感も持てず、ズルズルだらだらと
馬齢を重ねて今に至っている。
瞬間的なドライブ感と情熱を感じて働いていた時でも「それにどれほどの意味
があるのか?」という冷ややかな声が常に頭の隅から去らなかった。
いや、人生に根本的に意味などないことはわかっている。
わかっているのだが「まるで意味がないと思う」事柄と「多少は意味がある
可能性がある」事柄の間には差があると思うのだ。

その間、どうしてモチベーションを維持してきたかと言えば、仕事の中の技術
的な部分に熱中してみたり、組織の仕組みとやり方を改善することでそこに働く
人たちの満足度を上げることに力を注いだり、といった「スリカエ」を頭の中で
常に行ってきたのだと思う。
なので、僕は「金儲けのために部下に無理を強要する」とか「ゴマカシを行う」
ようなことに対して過剰に反応し、厳格に対応してきた。(そんな僕を要職に
つけるということは、今の会社は悪い会社ではないのかもしれないが)。
反面、自分自身を顧みて、もっと金儲けに熱心であるべきではなかったのか、と
いう「後ろめたさ」も会社に対して常に持っている。

嫌でも嫌いでも、義務だから、責任だから、それを全うするべきであるという感覚。
どちらかというと「軍人」に近い感覚だろうか。
人殺しは嫌いだけど、責任だから、義務だからやる、というのが軍人。
金儲けは興味ないけど、責任だから、義務だからやる、というのが僕。
誰でもそうなのかもしれない、とも思う。
多分、自分だけではないだろうと思う。
しかし改めて思うのだ。
ずいぶん長い長い時間働いてきたなぁ、と。
そしてまだこの世界でこれからも軍人のように働き続けるのだろうなぁと。