風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展

ボストン美術館には苦い思い出がある。
過去記事「フェンウェイパークの松坂」に書いたように、3年前のボストン出張
時にボストン美術館に行きそこねている(お陰でメジャーリーグでの松坂の投球を
見ることができたのだが)。
今回、世田谷美術館ボストン美術館の名品が来ると知り出かけていった。
日曜ということで混雑を危ぶんだが、それほど大々的にPRされていないからなのか、
駅から遠いことが幸いしたのか、さほどの混雑はなくゆっくり絵を見ることが
できた。19世紀後半、ヨーロッパで大流行した「ジャポニスム(日本趣味)」を
題材に、葛飾北斎歌川広重などの浮世絵の名品とそれらに影響を受けて描かれた
モネ、ゴッホロートレックなどの西洋絵画が並列して展示されている。

なんといっても目玉はポスターにも大きく取り上げられているクロード・モネ
「ラ・ジャポネーゼ(着物をまとうカミーユ・モネ)」である。
ゴザの敷物の上、壁にかけられた色とりどりの団扇をバックに真っ赤な着物を
まとったモネ夫人が艶やかな表情で微笑んでいる等身大の絵画だ。
さすがに名作と言われるだけあって、構図、色づかいの見事さと絵そのものから
漂ってくるオーラには凄いものがある。このオーラの創出に一役買っているのは
着物の裾に描かれた刀に手をかけた武士の絵であることは論を待たない。
まことに見事な傑作である。
絵の説明によれば、この10年前に描かれた同じく等身大の「カミーユ(緑衣の
女)」の対作品として描かれたとのことだが、10年前のモネ夫人は随分と歳を
取っており不幸そうに見えるが、これはどうしてなのだろうか?
カミーユは当時19歳だったということだが、到底そうは見えない)

「ラ・ジャポネーゼ(着物をまとうカミーユ・モネ)」


こちらが「カミーユ(緑衣の女)」

モネのこの傑作以外で僕が目を奪われたのは、歌川広重の浮世絵群だった。
これまで本などでは何度も目にしてきた広重の「東海道五十三次」や「名所江戸
百景」は、こんなにも凄いものだったのか。
広重の浮世絵は驚くほどモダンでグラフィック・アートしている(だからこそ
当時の欧州の画家たちが驚嘆したのだが)。構図といい、色使いといい、完璧
ではないか。特に広重のトレードマークと言っていい夕刻の空のグラデーション
(藍色から橙までの移りゆくトーン)は写真と異なり息を呑むほど美しい。

歌川広重「名所江戸百景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」

いや、広重に限らず、浮世絵はどれも実に美しい。
鮮やかな色彩を使っていながら「軽さ」があって実に洒脱である。
歌川国貞の浮世絵にインスパイアされて描かれたゴッホの「子守唄、ゆりかごを
揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」は油絵独特の重さが前に出ていて
絵としてのオーラはあるけれど、そこには軽さや洒脱さはない。

浮世絵では遊女が多く描かれている。
それらの作品を見ているうちに、遊女においては顔は「記号」として描かれている
事に気づいた。どの遊女も似たような顔(おそらく当時の「記号としての美女」)
で描かれている上に、身体の線なども全く分からない。
違いは分厚く重ねられた着物の柄と色だけである。
セクシュアリティの喚起をビジネスにしていた遊女がこのように描かれるのは
何故なのか、僕は興味を感じている。

久しぶりに迷うことなく図録を買い、沢山のポストカードも買った展覧会だった。
オフィスでは机上に好きな絵のポストカードを飾っているのだが、これから当分は
広重を飾ることにしよう。思えば小学生のころ、僕の祖父が永谷園のお茶漬海苔
の袋に入っていた広重の「東海道五十三次」を集めていて、全部一式揃ったカード
を手に入れていた。
幼い僕はそれを持ちだしては飽きず眺めていたのだった。
あれから長い時間が経ち、僕は今日、再び広重に出会ったのだと思う。

ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展