風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

瀬戸内の旅(2)−地中美術館(続き)−

次に僕が足を踏み入れた「オープン・スカイ」には息を呑んだ。
大理石の壁、床、そして天井には大きな長方形の穴がぽっかりと空いていて、青空が
見えている。ただそれだけの作品。
それがどうして僕がそれほど驚かせたのか。
たまたま雲一つない秋晴れだったこともあるしれないが、吸い込まれるようなそんな
感覚。見れば見るほど開口ではなく白い額縁に縁取られた天井画のようにも見えてくる。
聞けばタレルは天井部に開口を設ける作品を沢山作っており、現在はアメリカの砂漠で
クレーターに屋根を作ってそこに開口を設けようとしているらしい。まことに壮大な
プロジェクトである。「オープン・スカイ」は時間が動くと開口からの日射が変化して
少しずつ表情を変えるといい、夜にはさらに「ナイト・プログラム」というLEDで壁を
照らすプログラムもあるという。今回はツァーであったので時間の推移による変化も
ナイト・プログラムも体感できなかったのは実に残念だった。

(↑オープン・スカイ:写真撮影禁止だったので、ガイドブックから複写)


それに比べると、並んで待って入った「オープン・フィールド」は僕にはそれほど感じる
ものがなかった。この作品では壁に投影された光のスクリーン(実は開口)の中に人が
入ることができるのだが、光の中に入って感じることができる反面、種明かし的になって
しまっている部分もあり、そこがピンとこなかった理由かもしれない。


次にデ・マリアの作品。
部屋に入った瞬間、これは現代の神殿だ、と思った。
壮大で均整の取れた作品と思ったが、タレルの作品のように心奪われはしなかった。
同じことはモネの「睡蓮」にも言える(皮肉なことに、来る前はモネが一番楽しみだった
のだが。。。)。モネを見て改めて思ったのは、モネは偶然を期待して絵を描いている、
ということだ。近づいて詳細に見ると、モネの絵では絵具をパレットナイフで大胆に塗り
つけて他の色と混ぜ合わせており、その時、偶然が生み出すグラディーション、マチ
エールをそのまま生かしており、偶然が生み出すものを意図的にコントロールしようとは
していない。言いすぎかもしれないが、ハプニングアート的な部分が含まれている、と
言っても良い。しかし同様に、タレルにしても、デ・マリアにしても天井に四角い開口
を儲けて日射や空を取り込むことで、ハプニング(日射の具合や空の色合い)を意識的
に許容している。
好きか嫌いかは別にして、これは考え方として実に面白いと思った。
僕自身はどうやら嗜好としては偶然をコントロールしようとするアーティストに魅かれて
いる。例えばセザンヌにしても、フェルメールにしても可能な限り偶然をコントロール
しようとしている。音楽でもケージや後期のシュトックハウゼンのような「偶然性の
音楽」はあまり好きではないのだ。

         (続く)