風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

瀬戸内の旅(1)−地中美術館−

休みを取って以前から興味があった瀬戸内海のいくつかの美術館をめぐる旅に出た。
パックで、直島、豊島、犬島をめぐるツァーである。
幸い秋晴れで絶好の旅行日和だ。


最初に訪れたのは、直島。
岡山の南にある宇野の港から船で渡って安藤忠雄設計の地中美術館に向かう。
入り口を入ったところから、いかにも安藤忠雄らしいコンクリート打ちっ放しの長い
回廊が続く。写真はよく見るし、著書も読んだことがあるのに安藤建築を訪れるのは
僕は初めてである。
最初のショックは「四角形の庭」の螺旋階段を上がりきって、上から「三角形の庭」
を見下ろしたときにやってきた。三角形の庭にはびっしりと砕石が敷き詰められており、
壁には螺旋状のスロープに沿って明かり取りの開口スリットが開けられている。トクサが
植わっていた「四角形の庭」には感じられなかった圧倒的な緊張感が建築から伝わって
くる。開口スリットに柱がないことからくる緊張感、白い砕石の尖った角が生み出す
緊張感、そして三角形の尖った角が醸し出す緊張感、、正直、すごい、と思った。
建築からからこれだけの力を感じたのは初めてかもしれない。これまでも伊東豊雄
坂茂隈研吾やアアルトの作品など、あれこれ建築作品は見てきたのに、こういう
ショックは初めてである。建築に詳しくない僕はひょっとして騙されているのでは
ないか?という疑念を感じなくもない。わかりやすさ、に誤魔化されているのでは
ないか?と。ただ、感性は、これはホンモノで本当に凄い、と告げている。
ここに限らず、地中美術館の建築はそのどの部分も「こうでなければならない」という
断言で溢れている。芸術作品の多くは(自称作品も含めて)そういう断言を含んでいる
し、それが自己満足であると辟易するものだが、地中美術館の場合、その断言の強さ、
妥当さは際立っている。音楽で言えば、ショパンエチュードのある種のものやバッハ
モーツァルトの作品が持っているようなそんな絶対性が感じられる。

(↑三角形の庭:写真撮影禁止だったので、ガイドブックから複写)


さて、この地中美術館の収蔵作品は三人のアーティストに絞られている。
クロード・モネジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの三名だ。
最初に僕が足を踏み入れたのは、タレルの「アフラム、ペール・ブルー」の部屋。
壁にプロジェクターで光の立方体が投影されている作品で、離れて見ると光の立方体は
量感を持って実在として見えるのだが、近づいていると(当たり前だが)壁に投影され
ている幻影である。だからどうだ、と言われると何とも言い難いが、見ていると非常に
不思議な感覚が生まれる。面白いのは、一度幻影とわかってしまった途端、先ほどの
立方体はもう「立方体」に見えなくなってしまう。
いったい人間の感覚とはなんだろう?という思いが湧き上がってくる。

(↑アフラム、ペール・ブルー:写真撮影禁止だったので、ガイドブックから複写)
しかし、タレルの次の作品はさらに僕を驚かせることになった。
         (続く)