風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

村上春樹が語ったこと

昨日、日記帳のほうで取り上げた「考える人」に掲載された村上春樹のロングインタ
ビューを読了したので、特に心に残った部分を備忘録として抜き書きしておく。


【引用始まり】 ---
ノルウェイの森』はもともと250枚ぐらいの、さらりとした小説にする
つもりだったけど、書き出すと止まらなくて、結局長編になってしまった。
書き終えたとき、リアリズムの話はもう十分だと思いました。
もうこういうのは二度と書きたくないと。


− どういうところが、「こういうの」と思われたんですか。


これは僕が本当に書きたいタイプの小説ではないと思った、ということです。


− そんなふうに、書き終わったときに「これは僕の書きたい小説ではない」と
  思うような経験はほかの小説でもありましたか。


ないです。あの本は僕にとってはあくまで例外だから。
【引用終わり】 ---


【引用始まり】 ---
善か悪かというのは、さっきも言ったように、個々のケースで個々の人が、
強制してくる外的な力のベクトルの向きを、いまは善に向いているのか、
悪に向いているのかと、自分の感覚で判断していくしかありません。
同時にその感覚と、生活の質感とを常に結びつけていかなくてはならない。
それはとても難しい孤独な作業です。
 その孤独な作業を人に耐えさせるのは、やはり愛というか、コミュニケー
ションの深さしかないと思います。それも首から上の愛ではなく、骨身に
染みついた信頼感のようもの。
そういうのが必要になってくる。
【引用終わり】 ---


【引用始まり】 ---
(村上の小説は謎解きのようにして読まれることが多いが、それについて)
説明するのはずいぶんむずかしいなあ。
謎があるから解答がある、質問があるから答えがあるというものではない、
ということです。これが謎です、これが答えです。これが質問です、これが
解答です。それをやってしまうと、物語ではなく、ステートメントになって
しまう。そんなの原稿用紙三枚ぐらいで終わってしまう。それができないから、
三年ほどかけて、骨身を削って長い小説を書いているわけです。
だからほんとに頭のいい人は、小説なんて書きません。
こんな効率の悪いことは、とてもやっていられないから。
(中略)
こういう言い方をすると無責任で傲慢に聞こえるかもしれないけれど、謎に
対する答えを求めても、無駄だと思う。
小説のポイントは解答にあるのではないのだから。
【引用終わり】 ---


【引用始まり】 ---
正面から何かを解析しようとすると、言葉はどうしても重く、かたく、強く
なっていきます。肩に力が入ってくる。そうすると文章の足取りがとまって
しまう。会話では、人はそんなにむずかしいことを言わないものです。
でも簡単な言葉を上手に組み合わせることによって、そこにボリュームと
リズムをつけることによって、表情や手振りをまじえることによって、
むずかしい複雑なメッセージも有効に浮かび上がらせていくことができる。
【引用終わり】 ---


【引用始まり】 ---
(天吾と青豆について)
十歳のとき二人は、手をつなぎ合った瞬間に、劇的な宿命性をひしひしと
感じます。でもそれが何を意味するかが、彼らにはわからなかった。
どうやってそれをつなぎ留めればいいのかもわからない。
性的なことや将来的なこと、そういうものはまったく抜きで、ただ純粋な、
完璧な邂逅を、観念として受容しただけです。それがどれほど大事なこと
だったのか、気づくのはもっとあとになってからです。
そこにあった純粋さ、完璧さを損なわないためには二人はただ偶然を待つ
しかありません。そこにはシンクロニシティようなもの、恩寵のようなもの
が必要とされていたんです。
【引用終わり】 ---


【引用始まり】 ---
サリンジャーがなぜ小説を発表することをやめて沈黙してしまったかについて)
サリンジャーの最大の問題は、ストラクチャーをつくれなかったことです。
僕はそう考えています。あの人がやりたかったことは、それを受け入れる
ことの可能なストラクチャーがなくては書けないことばかりだった。
しかし、サリンジャーは満足できるストラクチャーを作りきれないまま終わって
しまった。書きたいことはあるし、文体も持っているのに、それに適した強固な
ストラクチャーがない。つまり確かな容れ物がないわけです。
小説家の資質として必要なのは、文体と内容とストラクチャーです。
この三つがそろわないと、大きな問題をあつかう大きな小説を書くことはできない。
【引用終わり】 ---


最後に抜粋した小説家にとってのストラクチャーの話は音楽と同じだなと思った。
作曲家でも、小説家同様、美しいメロディを作ることは得意でもストラクチャーを
作るのは不得手というタイプの人がいる(例えばシューベルトとかショパンとか)。
そういう作曲家は村上が言うように「大きな問題をあつかう大きな音楽」を作る
ことはできなかった(小品、佳品を作ることはできたが)
芸術一般においてのストラクチャー(構造)の意味について改めて考えさせられた
次第。