風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

吉本隆明あれこれ

吉本隆明共同幻想論」を再読完了。
吉本の考えるところの対幻想が共同幻想に成長してゆく過程については十分了解できた
という実感はまだない。ノートを取りながら読んだがその点以外、いろいろな面で考え
させられ、面白かったので、以前父親から譲り受けた「言語にとって美とはなにか」を
読むか、と考えたりした。
そんな中、昨日買った鹿島茂吉本隆明1968」を面白く読んでいる。


吉本隆明の原点は、いわゆる日本の思想が一般人の生活実感(というか倫理というか
行動規範というか)に根ざした「身も蓋もない言葉」に全く太刀打ちできず、結局
日本では、思想を実人生と遊離した知的遊戯として生きるか、思想を捨ててずるずる
べったり土着実感日常世界のみで生きるかの二種類しかないのはなぜか?という
問題意識にあり、「思想」(右翼だろうが、左翼だろうが、実存主義だろうが、ポスト
モダンであろうが同じ)を日常を生きる熊さん、八つぁんの生に「繰り込む」ことが
なぜ出来ないのか?という疑問が根本にある。
(そういえば高校時代、小田実の「世直しの論理と倫理」を読んで、その中で小田が
「一般の人が生活として無理なく実行・運動できない思想など思想に値しない」と述べて
いて、それに強烈に共感を覚えたのだが、小田と吉本は論争もしたが、こういう共通の
問題意識はあったのだな、と改めて認識した。)


その意味で、この本で鹿島氏は「共同幻想論」「言語美」「心的現象論」といった
いわゆる吉本の主著でなく、初期の吉本の論考に注目して語っている。
内容が、出自論、時代論にもなっており読み応えがあって実に楽しく面白い

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)